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2009年7月

2009年7月31日 (金)

換毛期終了

銀、朝のブラッシングやぞぉ~(笑)
そんな鬱陶しそうな顔すんなよ~(^^;)
何?、毎日毎日、ばっさばっさ抜けるのは別にええんやけど、お父さんのブラッシングは時々強すぎて痛い?
ビビんなよ~(笑)
最近はめっちゃ丁寧にしてるやろ~
・・・酔うてる時以外は(。。 )\バキッ☆
090731gin0

あ、お父さん、今日は全然痛いないわ~
そらそうや、朝っぱらから酔うてるわけないやろ(。。 )\バキッ☆
・・・って、お、お、おぉ~!
090731gin
銀、今日は手応えが全然違うぞ、うん、
すっかすっかと櫛通りがええし、ほとんど抜けへんや~ん(^-^)

てなことで、6月初旬から果てしなく続いていた換毛期がようやく終わったようだ。
昨年の日記を見ると、6月中旬から約一ヶ月間だったように書いてあるが、今年は6月の初旬に始まり約二ヶ月間、いったいどうやって毎日これだけの量を再生産しているのだろうと、マジ不思議に思うほどの抜けようだったw(゜o゜)w

それにくわえて、今年の七月は高野山でも蒸し暑い日が多かったので(と言っても30度は超えてないが(笑))銀も閉口したらしく、昨年まではあまり見せなかった、お腹全体を床にくっつけて冷やすポーズをよくとっていた。
こちらも、一回か二回だけ、今年こそは扇風機を出すか?というところまでいったのだが、窓全開でなんとかしのげた(笑)

ちなみに、例年8月に入ると、晴天の日も増えるので、日差しは強いが蒸し暑さはなくなるだろうから、銀も過ごしやすくなるだろう。

めでたしめでたし

2009年7月30日 (木)

忙中に一服の

本日も、月末忙殺進行中~(>_<)
事務所で夜中にうつらうつらしてたら、豪雨が屋根にばらばらばちばちと降り注ぎ目覚め指してくれた(^^;)
てなことで、朝までもう一がんばり。

日中も忙しかったのだが、某所でふと足が止まった。
高野山もアジサイの季節は終わりつつあるが、その原種であるガクアジサイは今が真っ盛り(^-^)
090730gakuajisai1
本山の近く、道路脇にこんなにさわやかなゾーンが広がっているなんてw(゜o゜)w
今まで全然気付かなかった(^^;)
090731gakuajisai2
中央の小さいのが本来の花で、周囲の花に見える部分は「装飾花」という萼(がく)らしい。
これが品種改良されて、全てが「装飾花」になったのがいわゆるアジサイ(セイヨウアジサイ)
って、帰ってから調べたんやけどね(笑)
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↑(中央の)花の咲きかけ、と、
↓七分咲き・・・くらい?
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↓ほぼ満開?(^-^)
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画像に納めた時は、はやる気持ちが一瞬和み、まさに一服の清涼剤(^-^)

ちなみに、一服の「服」って、通常は文字通り「衣服」の意味だが、「月(にくづき)」の部首が示す通り、もともとは「体にぴたりとくっついて離れない様子」を表してるらしい。
それが体の内部に対しても使われるようになり、つまりは「体に入れる」時、すなわち飲む行為の時もこの「服」という字を使うようになったそうな。薬とか茶とか、タバコもそうですな。

・・・って、どうも書類関係に取り組んでると理屈が先に立つねぇ・・・(^^;)

とにもかくにも、この出会いに感謝!

もうひとがんばりいたしましょ~!

2009年7月29日 (水)

月末ぅ~(>_<)

月末ぅ~で、書類が一杯たまってるぅ~(>_<)

トシとともに体力が衰え(^^;)既に徹夜ができないていたらく・・・というか、徹夜すると結局次の日に、酔ってないのにベロベ浪漫みたいな朦朧ぶりになっちゃうので(^^;)、仮眠をとりつつ取り組んでいる。

それにしても、ついこの間まで雪が降ってたはずなのに(^^;)いつのまに7月の末になったのだろう・・・w(゜o゜)w

昔々、お日さんとお月さんと雷さんが旅をして・・・って、もうええか?(笑)

ああ、頭が煮えていく~(>_<)

2009年7月28日 (火)

恐怖のトラッキング

「トラッキング」と聞いて、まず、ビデオレコーダーを連想するのは四十以上のおっさん?(^^;)
最近では、CGなどを使ったデジタル映像合成の用語としての方が出番が多い。また、マーケティングにおける消費者の行動追跡を指す場合もある。
いずれにしても、壊れたとか、間違ってた場合を除き、そんなに恐ろしい印象をもたらす言葉ではない。
ところが、建築に携わる現場の人間にとって、「トラッキング」とは、とても恐ろしい現象なのである。
ご存じの方も多いとは思うが、本日、とある現場で見つけた典型的、かつ、ある意味、よくこの状態で存在し続けられたものだと驚いた「トラッキング」の現物がこれ↓090728t1
つまり、「トラッキング」とは、冷蔵庫の裏など、普段掃除のしにくいところにあるコンセントなどに埃が積もり、さらに湿気が加わった場合、ブレーカーが落ちない程度のショートが発生、そして小放電が繰り返された結果、積もった埃がだんだん炭化していき、ついには大放電→最悪の場合発火→火事に到るという恐ろしい現象なのである。
埃が炭化する事によって、最終的に大きな電気の通り「道」ができてしまうので、「track-ing」と呼ぶ。
090728t2
コンセント自体が小放電による熱によって変形してしまっている、それにしてもよく燃え上がらなかったものだ{{{{(+_+)}}}}
きっと、この家の人の日頃の行いが良いのだろう、うん(^-^)
(↑火事に遭う人は日頃の行いが悪い、という意味ではない、念のため)

リフォームのご依頼を受け、壁や床をめくった時に、この手のトラッキングや重大な根太の腐朽などを見つけた時「やっぱり、今がやる時やったんですね~」と申し上げる事が多いが、今回もまさにそれ。
・・・って、ご依頼を受けたのは確か去年の暮れだっt・・・(。。 )\バキッ☆
すんませーんm(_ _)m
しかしこれ、少なくとも数年がかりの症状なんで、どうぞお許し下さいm(_ _)m

てなことで、長いことチェックしてないコンセントとか、たこ足配線になってる場合は、定期的なチェックが必要という事だ。・・・って、私もか?(。。 )\バキッ☆

ちなみに、昔、ある電気屋さんが、この現象をなぜ「トラッキング」というか、解説してくれた事がある。
『あのね、埃が載っかるからこうなるわけでね、つまり、トラック、あれ、荷物を載せるでしょ、ほんでこれもトラッキングと言うんですわ』

「へぇ~」とその時は感心しとったけど・・・

それやったら、trucking やーん!Hさん!
(「は」で始まる人か「ひ」で始まる人かはあえて伏す(笑))
電気の「道」で、tracking やで~(笑)

ちゃんちゃん

2009年7月27日 (月)

吾以外皆我師

てなことで、昨日にもましてざんざか降ってる月曜日(^^;)
取材陣と合流。
とにもかくにも、雑誌的ビジュアルな写真を撮りたい、との事で、余計な?講釈は不要との事(笑)
まぁその方がこっちも気が楽ですわ~ってな事で、早速、「ビジュアルな町石」撮影にご案内~
で、ふと思いついて、以前から画像に納めようとしては、イマイチな画角しか得られなかった「八町石」へ。
「ここからだと背景に大門が入りますけど」ってな事で、ガードレールを超えてカメラマンさんがチャレンジ。
他のスタッフはカメラを雨から守る役(笑)090727g1tyoshi1
ちなみに、カメラは5D Mark IIに、レンズがEF24-70L!
実勢価格で考えても約40万円~{{{{(+_+)}}}}
よぉこんな土砂降りの中で使えるわ~さすがプロやね~と妙に感心!(^^;)
ここの写真が採用されるかどうかは編集者によるらしいが、是非、見てみたいものである。090727g1tyoushi2
続いて、昨日ロケハンした(笑)四十二町石へご案内~
ここでもさすがのプロの目、私とは逆の方向から撮影してた。
こっちからの方が苔むした感じが強く出るのである、さすが~!
090727g1tyoushi3
と、雨で半分小川と化した町石道を、沢ガニがちょこちょこと・・・(^-^)
ああ、良かった、このあたりの水はまだ綺麗なのだとほっとする。
(※沢ガニは綺麗な水を表す水質階級Ⅰにしか棲まない指標生物。昔、JCで「川の汚れを生物にたずねる」という環境調査に取り組んだ事があり、沢ガニがいれば、そこの水は飲んでも大丈夫と学んだ)

何しろひどい降りなので、カメラマンさんに「町石はこれでOKですか?」と聞いてみたところ、なんとかいけますとの事だったので、とっとと丹生都比売神社へ向かう事にした。
何しろビジュアル優先、やからね~(^^;)
090727g2niu2rinkyo
さて、丹生都比売神社の駐車場で、昨日下見したがゆえに出来るアドバイスを(笑)
曰く「前方の鏡池に架かってる輪橋(りんきょう)と呼ばれてる太鼓橋なんですがね、水面に写ってるのも撮りたかったら、池の鯉に見つからないようそぉ~っと近づいて下さいね、見つかると次々に怒濤の勢いで近寄って来るので水面が波立って撮れませんよ~」(笑)
てなことで、↑の左隅にチラっと写ってるのがカメラマンさん。
私も身を隠していたのだが、この時点で、早くも3本ほど鯉が近寄りつつある(笑)
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鏡池のほとりに立つ木にはかわいらしいアマガエルが(^-^)
取材という点では、あいにくの天候だが、このところ暑い日が続いていたので、このカエルにも、さきほどの沢ガニにも、むしろ好天なのかもしれないと思った。
てなことで、それまでは・・・
「ビジュアル、ビジュアルって、雑誌を売らなあかんのはわかるけど、もうちょっと本質的な事にキョーミを持ってちょうだいよ~」的ちょっと不満(^^;)があり、町石道でも、「高野の七不思議の一つにね、罪深き人が登山すると雨が降って洗い流すってのがあるんですよ」と、憎まれ口を叩いたりしていたのだが(^^;)沢ガニとカエルに「いろんな事を一期一会で楽しく学ばせてもろたらええやんか~」的融通無碍を教わったような気がしたのだった。
そうしたら・・・
ちょっとした奇跡が起こったのであるw(゜o゜)w090727g2niu3
本殿の前で丹生宮司さんからいろいろとお話を伺っていると、なんとなんと雨雲の中から青空が顔をのぞかせ、日差しまでが本殿を照らし出したのであーるw(゜o゜)w
そして、次に、日差しに照らされた本殿の檜皮から幻想的な水蒸気が立ち上ったではあーりませんかw(゜o゜)w
もう、超ビジュアル~!\(^o^)/
宮司さん曰く『ちょうど良かったですね、もう少し後の時間だと逆光になってしまいますから』
夏場の雨の合間に日が差す午前中にしか見られない光景、という事で一同感動!m(_ _)m
090727g2niu4
土砂降りに備え(^^;)FT-1しか持ってこなかったのを悔やんだ(ToT)
これまた、編集者次第だが、プロの撮った画像を雑誌で見てみたいものである。090727g3jisonin1
てなことで、途中で昼食後、慈尊院へ、
余計な事とは思いつつ、「山門越しに中の多宝塔を撮るのは、ベタですけどけっこう絵になりますよ~」と、ご案内(笑)
『それじゃぁ』と素直にカメラを向けるF氏、う~ん、見習うべき態度ですな~m(_ _)m
この後、慈尊院のご住職と、丹生官省符神社の宮司さんの貴重なお話を伺い、「ひょっとして、今日一番勉強できてるの俺ちゃうの?」的気分(^^;)

090727g5sanadaan3
続く真田庵でも、庵主さんから丁寧なご解説をいただき、今まで疑問に思ってた数々の事が氷解!m(_ _)m
恥ずかしながら(^^;)この建物の正式名称「三層城郭風八棟造り(さんそうじょうかくふうやつむねづくり)」というのも初めて知ったのであった。090727g5sanadaan1
再び雨足が強まる中、真田地主大権現の前に立つ。
来年が、この地で蟄居のまま病を得て没した(幸村の父)真田昌幸の四百回忌だそうだ。
090727g5sanadaan4
隣に立つ宝篋印塔には、真田の旗印である六文銭を模してお賽銭が捧げられていた。

悪天の中、かけ足で巡った一日、当初は商業主義に対する反感もあったが、雨に濡れながら一緒に過ごしていると、やはり連帯感も生まれる(^-^)
また、各所でご協力いただいた自治体職員のみなさんにも感謝!m(_ _)m

やはり「吾以外皆我師」なんだなぁ、
そして・・・やはり、山川草木悉皆成仏とも・・・

以上、誠に貴重な経験をさせていただき、ありがとうございましたm(_ _)m

2009年7月26日 (日)

無理!(ToT)

昨日、「忙殺中(ToT)」と書いた理由・・・
それは先週のある日、某所を通じて某誌の依頼が舞い込んだ時から始まった。
曰く・・・『27日の朝、9時頃高野山を出発し、町石道と丹生都比売神社と慈尊院と丹生官省符神社と真田庵を取材して、午後4時過ぎの橋本駅発の電車に乗りたい』というもの。

無理っ!(ToT)

そら、車で移動したら距離的には十分可能やけど、それで取材が成立するのかというと・・・ねぇ・・・(^^;)

てなことで、昨日、仕事の合間にプランニングしていたのだが、どうしても時間が読めない部分があり、頭が煮えだしたので(笑)ええいそれなら、と、本日、雨の中(ToT)実際に下見に出発~
しかし、取材は明日というのにまさに泥縄?(笑)
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雑誌の特集記事との事なので、写真は必須であり、さらに時間を有効に使うためには、車道の近くで町石が綺麗に写る場所を探さねばならない。
三十七町から四十町石なら、R480沿いなので時間の短縮にはなるのだが、いかんせん、ビジュアル的に弱い・・・
てなことで「ここなら、プロのカメラマンが写せばええ感じになるんでないかい?」という町石を見つけるのに約1時間。
しかし、雨も小やみになり、日も差す中、次第に仕事?を忘れて町石道を楽しんだ(笑)ので、めでたしめでたしか?(笑)

続いて、丹生都比売神社へ向かう。

090727amano109_2
これは下見した甲斐があった。というのも、丹生都比売神社へは、↑図中の最下部、R480の「志賀高野トンネル」が数年前に開通して以来、県道109号線を通るルートの方が快走できるので今日もこちらのルートを選んだのだが、なんと来年1月まで改良工事のため通行止との事。
てなことでUターンして、久しぶりに梨子ノ木峠から紀伊高原GCを通って天野の里へ向かったのだが、タイムロスの原因の一つをつぶせて良かった(^-^)明日は緑○で示したルートをとろう。
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丹生都比売神社まで来ると、なんと青空が見えだした(^-^)ありがたい~m(_ _)m
宮司さんにご挨拶し、明日の取材の簡単な打ち合わせの後、取材対象ではないが、自分的に興味津々な場所をじっくりと巡る(^-^)
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神社の左奥に進むと、大峯修験者の碑や光明真言板碑、そして「役の行者(えんのぎょうじゃ)」の石碑が安置されている脇(しゅく)の宿石厨子がひっそりと佇んでいる。
明治5年の神仏分離令により、ここへまとめて移築された石碑群だが、これらこそが、天野の地の真言密教や修験道との密接な関係と、そのハブであった事を示す証拠と言えよう。
かつて、この石碑群の少し手前の場所には、高野山行人(ぎょうにん)方の管轄による、胎蔵界大日如来を祀る多宝塔と御影堂があり、その跡地も残っている。
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(※’08高野山学第2講より、
 丹生都比売神社公式ホームページの最下部、
 「神仏分離以前の丹生都比売神社を3D CGで再現」でも閲覧できます)

・・・と、苔むした石碑を眺めつつ、往事を偲びながら一人感慨にふける自分がおかしくもあった(^^;)
・・・ベロベ浪漫の時と大違いやなぁ・・・(。。 )\バキッ☆

てなことで、もっとあちこちをうろつきたくなる気持ちを抑え、今度は慈尊院へ。
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慈尊院山門横の「下乗石(げじょういし)」
旧慈尊院(天文九年(1590年)に紀ノ川大洪水で流出)の南門に建立されていた卒塔婆形石塔の上部。「下」という文字が読み取れる。
ちなみに、旧慈尊院は、方六町(654m角)の広大な敷地に七堂伽藍が甍を並べていたと言われており、高野の政所として穀物等の備蓄倉庫の役割を担っていたのである。
下乗石とは、ここからは馬や駕籠等の乗り物から降り、徒歩で参るように示した道標。
中世の浄土思想流布以来、『一度参詣高野山無始罪障道中滅』(高野山に一度でも徒歩でお参りすれば、果てしない過去からの罪も、道中で全て消滅する)という信仰が広まったわけだが、その一歩がここ慈尊院から始まるわけだ。
この「徒歩で高野山へ」については、正和二年(1313年)に後宇多天皇が残したエピソードがある。
というのも、何が何でも徒歩で、と、町石道を歩き続けた後宇多天皇、六十町付近(現在の花坂)で激しい雷雨にあい、疲労も手伝いついに気絶!玉体に万が一の事があってはと、共の者が輿に乗るよう懇願したものの断固として拒否、休憩の後、高野山まで歩き続けたという。
現代の天皇家ならいざ知らず、地面に足を付ける事などなかった文字通りの雲上人、中世の天皇をして、ここまで駆り立てたのは、やはり弘法大師と浄土への果てしないあこがれだったのだろう。
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その慈尊院の南の高台に丹生官省符神社(にゅうかんしょうふのしょうじんじゃ)がある。
弘法大師空海が慈尊院を開いた時、その鎮守として天野の丹生都比売神社から、丹生都比売と高野御子(狩場大明神)を勧請したのがはじまりで、やがて不輸不入の特権を持つ官省符荘(荘園)二十一ヶ村の総社(総氏神)として栄えたという。
社号は何度か変遷しており、空海当時は「丹生高野明神」であったのが、管省符荘となった後、建久二年(1191年)に気比、厳島の二神を勧請し「四社明神」となり、文明六年(1474年)には、天照、八幡、春日の三神を合わせ「丹生七社大明神」と改称、豊臣秀吉によって管省符が廃され、紀州領となってからは「丹生明神」そして明治以降、往事を偲んで現在の「丹生官省符神社」と称するようになったそうだ。
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慈尊院から丹生官省符神社に到る、百十九段の階段の中程に百八十町石がある。
正面には、毘沙門天を表す梵字が刻まれ、「百八十町 権僧正勝信」左側面には「為先師 前大僧正聖基」と為書き、右側面には「文永九年(1272年)十二月」とある。
寄進者である権僧正勝信は、関白藤原道家の子で、後に東大寺別当となった人。
その師匠である聖基は、同じく藤原家の、平家物語は「殿下乗合事件」で知られる従一位摂政関白、藤原基房の孫。東寺長者、東大寺別当を歴任し、南谷大僧正とも呼ばれた当時の宗教界の大物。
なにしろ町石道の最初の一石であるからして、権利の争奪戦も繰り広げられたのではないだろうか・・・って下種の勘ぐり?(^^;)
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石段を登り切ると、神仏混淆を示す袖柱(稚児柱)付き、いわゆる「両部の鳥居」が迎えてくれる。正面に見える拝殿の向こうには、天文十年(1541年)に再建された本殿が往年の姿をとどめている。
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てなことで、シミュレーション的にケツカッチンになりつつ(^^;)再び降り出した雨の中、「真田庵」へ。
ここは知る人ぞ知る、あの真田幸村隠棲の地に、寛保元年(1741年)に大安上人が、地蔵菩薩を安置し、佉羅陀山(きゃらだせん)善名称院(ぜんみょうしょういん)とした後、上人の遺言に従い尼寺として歴史を積み重ねてきた所だ。

と、ここまで、案内のシミュレーションとしてぶつぶつ独り言を言いつつ(笑)来たわけだが、はっきりいって、やっぱり無理~っ!(ToT)

一カ所一日でも足らんぞぉ~
どうするねんなぁ~
・・・てなことで、後はもう、取材陣の力量に期待!(。。 )\バキッ☆

ちゃんちゃん

 

2009年7月25日 (土)

忙殺!(ToT)

仕事+α(ToT)で忙殺中・・・orz

2009年7月24日 (金)

フェレット達との11年

思い出いっぱいのケージだが、処分する事にした。
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ネットなどを通じ、どなたかに貰っていただこうかとも思ったのだが、11年の歳月により、あちこちが錆びて穴も空いているし、いろいろと改造もしているから、単体では使えない状態。
何より、このまま棲むものがいなくなったケージを見ているのは辛い。
ちなみに、11年前、ナルを飼う事になった時、一緒に購入したのが右のケージと、奥に写ってる寝床小屋で、最初はこの二つを繋げていたのだが、一年後、トトが加わった時に左の二階建てのケージを追加して寝床小屋を移設し、塩ビパイプでケージ同士を繋いで、寝床、遊び場所兼トイレ、そして餌場とゾーンを分けたのだった。
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その後、ハクがやってきて、たちまち巨大化したため、75㎜のパイプでは通れなくなったので、100㎜のパイプに交換したのも懐かしい思い出。
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もともと、寒さには強いフェレットだが、そこはそれ高野山なので(^^;)万が一に備え、冬には寝床小屋に床暖用のヒーターも仕込んでいた。
↑トトが珍しくカメラ目線になったので、一枚撮ったら偶然ハクが写っていた画像(笑)
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ある日のナルの寝相(笑)
一瞬、すわっ{{{{(+_+)}}}}とビビったものだった(^^;)
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ケージに吊したハンモックで寝るのもお気に入りだった。
↑これはハクとトト。
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これは・・・実は三匹が一緒に寝てるのだが、ナルが完全にハクの下敷きになっていて、写っていない(笑)
当初は圧死しないかと別々に引き離したりもしたのだが、すぐにまた三匹が集まって寝ていた。仲のよいトリオだったのである(^-^)
0907nth2
るんたともよく遊んだ。
年齢的には、ナル>トト>るんた>ハク、で、るんたは先住者であったナルやトトに一定の敬意を払っていて、いつも遠慮がちに接していた。
0907nth4
余所の犬にケンカをふっかけられても負けなかったるんただが、年下のハクにさえ、踏んづけないよう気をつけていた。
・・・って、フェレットの話なのに、すぐるんたの事になってしまうなぁ・・・(^^;)060728rival2
そして銀、パピーの頃から、ハクによく遊んでもらっていた。
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ま、銀がいくらがんばっても、いつもハクの圧勝に終わったのだが(笑)
060814start
もっぱら銀の相手をハク、トトはもっとペーストちょうだい~、そしてナルはさっさと隠れ家に・・・(笑)
090724narutotohaku
上から順番にナル、トト、ハク、
おとなしいナル、闘争本能むき出しのトト、ひたすら食欲のかたまりのハク、
三匹の性格がよく出ている(笑)

さて、今回、最後の一匹であるトトが逝った事で、ケージも無くなり、我が家からフェレットの痕跡が消える事になった。
トト、そしてフェレットとの暮らし、二つが同時に無くなったわけだ。
トトがいなくなったのはもちろん寂しい、ただしそれは老衰による大往生なので、最後までちゃんと世話ができたという奇妙な達成感のようなものも感じている。
しかし、我が家からフェレットがいなくなった、という事実は、るんたの時とはまた違う喪失感を私とカミさんにもたらしている。

それは激しい悲しみ、ではなく、まさに心にぽっかり穴が空いたような虚ろな脱力感なのである。

この虚脱感は、おそらく、新しいフェレットを迎えても埋められないと思う。
11年前と現在で、決定的に違う点があるからだ。
それはすなわち、娘と息子がすでにコドモではなく、オトナになろうとしている時期という事だ。
フェレット自身、「成長しない子猫」に例えられる事があるように、私とカミさんにとっては、コドモの象徴のような気がしてならない。
そう、この虚脱感、寂しさは、巣立とうとしている我が子達への想いそのものとも言えるのかもしれない。

だが・・・
ナル、ハク、そしてトトとの思い出が消える事もない。
それは娘と息子との思い出と一緒に、私とカミさんの心の中にいつもある。
11年間、平穏無事だったわけではない。
むしろ波瀾万丈?(^^;)
『ずいぶん、ナルやハクやトトに愚痴を聞いてもらったわ』とカミさんがぽつりと言った。
「そうなん?いやその・・・実は俺も」(笑)

普段は物言わぬフェレット達、るんたや銀より、人語を解さない分、かえって話しやすい事もあったのだ(^^;)

トトよ、そして、あらためて、ナルとハクよ、
ありがとうね、

お父さんもお母さんも、君らと暮らせて幸せやったよ、
君らもたぶん、幸せやったと思ってもええやろ?

11年間、
もう二度と訪れない日々、
だからこそ、これからも、懐かしく、嬉しく、笑顔で思いだそう。

ありがとう

2009年7月23日 (木)

トトお疲れさんやったね

トトは、昨夜遅く、穏やかに逝った。
ぐっすり眠りながら、その息づかいがだんだん浅くゆっくりになり、やがて止まった。
マルの去り際を思い出させる大往生だった。

悲しいと言うより、苦しまずに逝った事に感謝したいような気持ちがした。

トト、お疲れさんやった。
よぉがんばった。
生きたなぁ、生ききったなぁ、すごいよ君は、
090723toto1
早朝、カミさんと娘と私で、旅支度をし、銀ともお別れさせた。

ペーストとフードもたっぷり詰めた。 

09723toto2

ナルとハクの隣に埋葬した。

060728luntoto_2 

トトと言えば、やはりこの画像だ。
かぶりつかれても、ちょっと困った顔をしてガマンしていたるんた・・・
また、一緒に遊んでちょーだい。

060814naruhakutoto

左から、ナル、ハク、そしてトト・・・

三年前の画像だが、まるで昨日の事のようだ。

るんたと一緒、また、みんなで遊べよな~(^-^)

そのうち、お父さんも行くしぃ~

きっとまた、会える(^-^)

2009年7月22日 (水)

建築士定期講習

トトの事が気がかりだが、受講の義務があるので仕方なく、和歌山市で開催された建築士の定期講習へ・・・
と、「仕方なく」などと書いたが、そもそも『建築士にとって、職業倫理とは、仕事を依頼した人たちのために誠実に常に最善の仕事をする心をもつこと、同時に建築士として社会を裏切らない心を待つことといえる』(当日のテキストより)気持ちを持って真摯に取り組むべきなのである・・・
ただ・・・その内容というか、実施の仕方は、木造住宅耐震診断士の項でも書いたが、『アネハ、ヒューザー、シンドラー』orzによる不正の影響がもろに出たものであった。090722co2
二百数十人が詰め込まれた和歌山ビッグ愛大ホール。
午前9:10~午後5:30まで、『定刻開催、定刻終了と定められています』との宣言通り、みっちり講義してピシっと試験を執り行うわけで、当然の事ながら、興味の有無に関わらず、日食の時間帯も当然ここに閉じ込められる運命・・・(ToT)
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さて、↑が本日配布されたテキスト。182ページのほぼ全てに「目を通す」講習の後、内容を把握したかどうかの試験が行われる。
ちなみに、私の受講票は、約1ヶ月に申し込んで受け取ったものの、大事に仕舞いすぎてどこかへいってしまい(。。 )\バキッ☆ ゆえに、当日の「再発行」なので写真が貼られてないが、本来は写真を3枚貼り付けて申し込まねばならないという、まるで受験なみの体制。
090722coo2
しかも、講義中(もちろん試験中も)、何度も、身代わり防止という感じで、6人もの係が一人一人、顔写真をチェックして回るのである。

そんな大層なもんか・・・(。。 )\バキッ☆  と不謹慎な考えが浮かぶのも無理はない、以前の定期講習では、改訂された法律の再チェックが主で、所要時間も、だいたい1時間は早く終了するのが常だったのだ。
何?そんなええかげんなやり方をしてたから『アネハ、ヒューザー、シンドラー』みたいなヤツらが出るんやないの?って?
違う違う~
あんな組織的な犯罪を実行するようなヤツらは、どんな講習を受けたって無駄!
つーか、アネハはともかく、他のヤツらは設計事務所に属する建築士でないのだから、受講義務が無く、そもそも講習さえ受けてないはず。
『結局、俺ら、巻き添えやんけ~』ヽ(`Д´)ノってな気持ちも湧いてくる。
というのもこの講習、法の改正点や、新しい技術についてだけのものなら、こういう考えも浮かばず、一所懸命スキルアップに取り組めるのだが、実感として、試験も含めてその内容の七割以上が、やれ『倫理観を持て、悪い事はするな、罰則は強化されたぞ』的、警告のオンパレードだったのだ。

これではまるで「講習」ではなく「修身」やなぁ・・・(^^;)と何度思った事か(笑)
090722co4

↑そしてこれが講習5時間、試験1時間の苦労の跡(^^;)
試験自体、テキストの閲覧が「可」、つまり、182ページのどこかにある文言を探すのが主体なので、あちこちのページをめくりまくった結果、ひん曲がったのである(笑)
ちなみに、この試験の不合格者がどうなるのかの説明はなかった(聞き漏らしたのではない)

なんだかなぁ・・・
以前にも書いたような気がするけど、これが医者や弁護士や税理士なら、仮に悪い事をして逮捕者が出たとしても、業界全体を縛り付け直すような法改正が行われるような事には、ならんはずよねぇ・・・
まぁそれだけ「建築」という仕事が、社会に及ぼす影響が大きいって事なんやろけど、何か釈然とせんよなぁ・・・
それとも、ひょっとして監督官庁は『アネハ、ヒューザー、シンドラー』が単なる氷山の一角と知ってて、業界全体に警告を促してるんかなぁ・・・

てなことで、日食が気になりつつも(^^;)ほぼ、真面目に取り組んだ一日だった。

あと、書きたい事がいろいろあるが、トトの事が気になるので割愛。

帰ったら、衰弱が進み、もう動けなくなったトトを、娘が膝に載せてひたすら撫でていた。090722toto1
トトがこんなに大人しく膝に乗っているのはおそらく初めての事。
カメラを向けてもぶれずに撮れるのもおそらく初めて・・・

トトよ・・・今晩、逝くんかい?

トトを抱いた娘を、カミさんと私で囲み、じっと見守る夜だった・・・

2009年7月21日 (火)

トト萎える

数日前に元気になったのは、やはり老衰期に見られる一時的回復だったのか・・・
今日は右足どころか、腰がくだけたようにふにゃふにゃになってしまい、這うのがやっとの状態。
しかも・・・
今までどんな状態でも喜んでペロペロと舐めにきた大好物のペーストにも無反応。
もはや目も鼻も利かなくなって、ペースト自体がわからないようだ・・・

いよいよ、なのかもしれない・・・

2009年7月20日 (月)

転載『マリア・・・永遠に幸あれ!』

4月に里親の再募集開始の案内を載せたボーダーコリーのマリアの件で、嬉しいお知らせ。
MARIA基金より転載させていただく。

***転載ここから***

支援者の皆様へ

ご報告が遅くなり大変申し訳ありません。
マリアは無事トライアルを終了し譲渡書類のやり取りも終了して
正式に新しい飼い主様の下に旅立ちました。
これもひとえにたくさんの支援者様からの温かいご支援のおかげです。
あらためまして心からお礼申し上げます。

今の喜ばしい気持ちと感謝の気持ちを文章に綴りたいのですが
上手く表現することが出来ません・・・
とにかく本当にありがとうございました。

皆様からご支援いただきました支援金の残金につきましては、清算して
ご返金させていただこうと考えております。
ご返金ご希望の方はお手数をおかけしますが下記マリア基金事務局まで
ご返金する金融機関情報をメールにてお知らせ下さい。

mariakikin@gmail.com

ご返金不要とお申し出いただいていただいてる方々の支援金に関しましては
マリアの持参金として里親様にお渡しして今後のマリアの治療費に役立てて頂きたいと考えております。


今後のマリアの状況に関しましては下記ブログにて確認していただくことが出来ます。

「お気楽マリアのとことこ日記」
(※↑「MARIA基金」のページからはリンクがありますが、本ページからはリンクしていません。)

最後になりましたが皆様の温かいご支援のおかげで大切なひとつの命を救うことが出来ました。
皆様のような温かい気持ちを持った人たちがこの世にあふれ世の中から不幸な動物たちがいなくなくなることを祈りお礼の言葉とさせていただきます。
本当に本当にありがとうございました。

マリア基金事務局 ○○ ○○
(←※「MARIA基金」では実名が記されていますが、本ページでは、伏せさせていただきます。)


・*:..。♡*゜¨゜゜・*:..。♡*゜¨゜゜・*:..。♡*゜¨゜・*:..。♡*゜¨゜゜・*:..。♡*゜¨゜゜・

☆special thanks☆

マリアにご支援下さった方々
(順不同)

以下、名簿略

2009年7月19日 (日)

「りら」と「星の動物園」

時折雨のぱらつく日曜日、
午後4時過ぎまで、三線の特訓(笑)とたっぷりの銀ぶら。090719gin_2
銀、ご機嫌やな、な、な、な~
ほな、留守番頼むで~(^^;)
                ・
                ・
                ・
てなことで、紀美野町は真国宮の、りら創造芸術高等専修学校さんへ。
本日、生徒主催の夏祭りが開催されるとの事で、ここの校長さんと旧知の「織り心(おりじん)」の今城さんご夫妻のお誘いでまかりこしたという次第。
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到着は午後5時過ぎだったが、まだまだ日は高く日差しも眩しい中、子供達の見事なダンスで夏祭りのステージは始まった。
ただし・・・この子供達、残念ながらジモピーではなく、堺にあるDANCE ART COMPANY ALCAからの客演との事。
それもそのはず、この学校は’05年に生徒激減により休校となった「真国小学校」の施設を再利用して、’07年に設立された新しい教育の場なのだ。
きっと以前は、もっと大勢の子供達がこの校庭をところせましと走り回っていたのだろう、それを思うと少し寂しい気もするが、再生された学校に地元民も訪問者も関係なく、たくさんの人が集まり、強い日差しもあいまって熱気にあふれている光景からは、確実にこの学校がこの里に根付きつつある事が感じられた。
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これもALCAさんからの客演の一コマ。
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若い人の元気のいい本格的なジャズダンス・・・というキャプションしか浮かばない私はやっぱりおっさんか・・・orz
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そして在校生による発表会。
これは1年生、つまり、3ヶ月少々での発表だが、教育レベルの高さを物語るような出来に拍手喝采!
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これは3年生?のラインタップ、お見事でした~(^-^)
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てなことで、午後7時、もう一つ用事があるので、花火大会が始まる前に失礼m(_ _)m
この時計台、小学校が休校になって以来止まっていたらしく、学校再開時、里の人は『この時計が動いてるのを見るだけで嬉しい』とおっしゃったそうな・・・
過疎の現実が身に染みて伝わってくる言葉である。
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午後7時過ぎ、里に佇む、りら創造芸術高等専修学校。
これからもどんどん新しい笑顔と情熱が生まれますように(^-^)
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てなことで、もう一つの用事のため、山上のでっかいキノコへ・・・って、違う違う~(^^;)
これは、通称「星の塔」という天文台。
実は、「りら」さんとここ「みさと天文台」さんで、それぞれ9月、10月に、カミさんが歌わせてもらう事になっていて、今日はその下見も兼ねていたのである。
「りら」さんの方は、校舎内に素敵な吹き抜けのホールがあり、そこでの反響具合を実験でき、ここ「みさと天文台」でも、「星の塔」をはじめ、「月の館」や「空の庭」のあちこちで、反響具合をチェックさせていただいた(^-^)
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で、下見だけ、のつもりだったのだが、ちょうど開催されていた「観望会」へも混ぜていただき、立体画像によって、22日に起こる日食現象を宇宙から体験。
日本列島を月の影が覆う様子がめちゃんこよくわかった(^-^)
(↑の地球が、ぶれたように写っているのは、立体メガネ用の二重画像ゆえ)090719misato4_2
あいにく、曇天で実際の星は見られなかったのだが、かつて一般に公開されている望遠鏡としては日本最大を誇った口径105㎝のカセグレン式(望遠鏡と同じ光軸で見る方式、ただし倒立像)反射望遠鏡を見られただけで満足まんぞ~(^-^)

海の日」制定以来、夏の三連休なんぞ休むヒマあるかい~(ToT)で、今までろくに休んだ記憶がなかったし、今日も「夕方からカミさんのお供~(^^;)」って感じで出てきたのだが、5時間ちょっとでたっぷり楽しめ、癒された。・・・まぁそれは、帰りの運転をカミさんが引き受けてくれたおかげで、たっぷり飲めたビールの効能も手伝ってるかも?(。。 )\バキッ☆

てなことで、逐次トトの様子をメールで送ってくれてる娘にも感謝しつつ帰路についたのであった。

さぁ、帰ってからまた銀ぶらじゃ~(笑)

めでたしめでたし

2009年7月18日 (土)

トト介護の日々

実は一週間くらい前から、トトが急激に衰弱・・・090710toto
トトは我が家の歴代フェレットで一番のおてんばであり、普段、ゲージの外では素早く走り回るばかりで、抱き上げるのさえままならないくらいだったのだが、どうも、右後ろ足がうまく動かないようで、ヨロヨロと這いずり回ったあげく、娘の足の上で丸くなって寝てしまうくらいだった。
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そのまま持ち上げても、反応無し・・・090710toto2
ケージの中のハンモックへ寝かせてやったが、呼吸も浅く、ひょっとしたらこのまま・・・という気もした。
何しろ、今年の12月で満十歳という高齢だ。
老衰に違いないという事で、それから、カミさんと娘の24時間体制の介護が始まった。090713toto1
最初の数日は、ドライフードをまったく食べず、一つずつ水でふやかしてスポイトで食べさせようとしたのだが、食欲もあまり無いらしく、いやいや飲み込んでいる感じだった。090713toto3
大好物のペーストだけはペロペロとなめるのだが、こればかりだと栄養がかたよるだろうし・・・

てなことで、なだめたりすかしたり、起きた頃合いを見計らい、根気よくふやかしたフードと水をスポイトで与え、右後ろ足にはマッサージ、そして時々のペーストで一週間・・・
夜中に時々「息してる?」と様子を伺う事も度々で、一家全員寝不足な一週間でもあった。
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ところがなんと、介護が効いたとみえ、動かなかった右後ろ足も徐々に回復し、(銀も家の中ではほとんど用を足さなくなってくれたので)今ではほとんど用無しになっている銀のペットシーツを自分専用に使い出した(笑)
本来、フェレットは、隅っこでお尻が何かに触れていないと、小も大もいたさないものだが、トシとともにそういう本能も忘れたようだ(^^;)
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今日などは、カミさんが持ってるスポイトに対し、遊び半分の攻撃を加えるほどに回復w(゜o゜)w

これが一時の回復なのか、はたまた衰弱こそが一過性のものだったのか、よくわからない。
ただただ、この小さな命をこれからも見守るのみである。

トト、一緒にがんばろな~(^-^)

2009年7月17日 (金)

夏の空

標高八百数十メートル+塔の上、少し空に近づいてるせいか、夏の空がいっそう眩しい。
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見上げてるとくらくらしてくる・・・
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ちなみに、このハシゴを登って、露盤のところまでたどりついて見上げたのが↑の画像。
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いわゆる九輪の根元には請花(うけばな)と呼ばれる花びらの形をした台があるのだが、約三十年の風雪により、コーキングが劣化して雨漏りしているのである。
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↑九輪と請花の接合部、コーキングが劣化しているのがよくわかる。
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九輪を請花が支え、さらに下には伏鉢(ふせばち)と露盤(ろばん)があるのだが、その各所も若干老化気味・・・
再コーキングを施して様子をみることになった。
090717spire6
で・・・上を見ればまぶしさでくらくら、なのだが、下を見ると別の意味で・・・{{{{(+_+)}}}}
作業してるとそんなに気にならないのだが・・・
ちなみにこの高さ感、左に移ってるお寺の石垣の高さを知ってる人にはよくわかっていただけると思う。
090314tenne31
ちなみに、↑が今年の転衣式(3月14日)の時の画像。

涼しげな一枚、暑中見舞いがわりにどうぞ~(^-^)

2009年7月16日 (木)

ご葬儀

ご葬儀に参列。

暑い一日だった。

遺影の上綱さんは柔和な笑顔で、まるで今にも『おい、びっくりしたやろ?』と、いつもの冗談っぽい口調で話し始められるかのように思えた。

今も実感がわいてこない。

高野山大学の学監をなさっていらっしゃった頃は、今よりずいぶん怖い印象の方だった。
私もまだまだ若く、今よりさらに至らなかったので、よく叱られたからだ。
一番の思い出は、ある建物の地鎮祭後、その頃は忙しい時期でもあったので、工事にかかるのが、つい遅れてしまい・・・

ある日、電話がかかり『こらーっ!いつまでほっとくんじゃーっ!
「す、すいませーんm(_ _)m」電話を持ったまま土下座したくらいの勢いだった。
あんまりほっとくから、地鎮祭で撒いた五穀から芽が出とるやろがーっ!
「これから、これからすぐに現場へ行きます~」
五穀に謝っとけーっ!

現場に駆けつけてみると、本当に、地鎮祭の鎮め物として埋めた五穀から双葉が出ていた。
後にも先にも経験のない出来事だった。
どうしようかずいぶん迷いつつ、上綱さんの言葉通り、ほったらかしにしていた事を五穀と土地に謝った上で、双葉を植木鉢に移し、馘首を覚悟で持参して、お詫びを申し上げたら、なんとか許していただけたのだった。

あの日もこんな暑い日だった。

上綱さんが植物を大事にする方だと知ったのもあの日だった。

それから、お寺の境内に咲く様々な花の事を教えていただいた。

私が花に興味を持ちだしたのも、上綱さんのおかげだ。
花の事以外でも、いろいろな教えをいただいた。

その恩返しもできぬ間に、お別れの日が来てしまった。

境内に佇んでいると、ふと目にとまったのが、庭の松の木だった。

毎年、雪の季節になると、棕櫚の縄で雪吊をしている松だ。

「上綱さん、今年からは俺が雪吊りします」

・・・『あんたの事やから、忘れてて松の枝が折れてしまうんちゃうか?』

そんな声が聞こえた気がした・・・


上綱さん、本当に本当に、ありがとうございました。

2009年7月15日 (水)

お通夜

お通夜に参列、

ご葬儀は明日16日(木)午後1時より光台院様にて、

2009年7月14日 (火)

遷化の報

高野山塔頭、光台院のご住職、楠 公誠上綱様の遷化の報に接し、ここに謹んでお悔やみを申し上げます。

上綱様には、出入り業者として大変かわいがっていただいた上に、光台院様の境内に咲く、野の花の可憐さを、季節ごとに教えていただきました。

あまりに早すぎる御遷化が無念でなりませんが、いまはただただ、感謝申し上げます。

ありがとうございました。

2009年7月13日 (月)

大脱走マーチが聞こえる

高野山のお寺の造りの特徴の一つとして、大引や根太、つまり、床を支える部材が比較的大きいため、設置間隔も広くなっている。という例が挙げられる。

おおざっぱに言って、在来工法の床の構造とは、まず、90㎝内外の間隔で基礎なり礎石が配置され、その上に床束(10~12㎝の角材)が立ち、大引(10~12㎝の角材)と、それに直交する形で根太(4.5㎝以上の角材)が乗り、床板を支えている。
大引の配置間隔は床束と同じなので、だいたい90㎝内外、根太はその半分にするのが通常で、45㎝内外の配置となる。
以上を「ちゃんと」施工すると、基準法で定められているところの耐荷重1㎡あたり180kgは楽々クリアできるし、耐荷重を高めようとすれば、むろん、部材の配置間隔を狭めるのが一番有効なわけだが、この配置間隔でも部材を大きくしたり、床材を変更したりと、工夫をすれば、1㎡あたり400~500kgくらいは耐えられるようにできる。
ところが、高野山の場合・・・
おそらく、明治初期までは木材が豊富で廉価だったためか、大きな部材をそのまま使っている傾向が多い。つまり、大きな部材を加工してわざわざ小さくするより、六寸丸太などの両面だけを平滑にして(太鼓仕上げ)大引に使い、その上に四寸丸太の太鼓仕上げをおいて根太にしている・・・というような例がほとんどなのである。
以上、高野山の寺院だけでなく、古い日本家屋には共通する事かもしれない。

・・・で、
大きい部材で間隔が広い、という事は、「たわみ」が出やすいという欠点もあるが、比較的丈夫で腐食等にも強いと言える。ただし、老朽化すると、一気に床が落ちてしまう、というケースもまま見受けられる。
時々、法事で親戚一同が集まったら、床が抜けた・・・みたいなニュースがあるが、こういう場合はほとんどが下地の間隔の広さが原因だと思われる。
これが、近代の規格化された寸法の床では、部材が小さいゆえ局所的に傷みやすいので部分的に床が抜けたりするわけである。

・・・てなことで、築百数十年になるこのお寺も、その例に漏れず、床束は約1.8mごとの配置となっており、過去に何度か補強されてきているのだが、この度、全面的に床束を増補する事になったのである。
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で・・・
各部屋ごとに畳を上げ、床板をめくって施工できればいいのだが、そうもいかず、これも高野の寺院の特徴の一つである、床下が比較的高い事を利用して・・・
大脱走マーチが聞こえるような(^^;)トロッコで、資材や職人さんを運ぶ事に。090713ge2
この、「なんとか作業できる」けど「長時間はキツい~」作業空間!(T_T)
みんな、毎日、ほんとにお疲れ様ですm(_ _)m090713ge3
ちなみに、分岐点もちゃんとこしらえてある(笑)

ちゃんちゃん

2009年7月12日 (日)

ほぼ一日・・・ 

ほぼ一日中・・・

三線の練習!(笑)

あまりの熱心さに、カミさんが驚いていた(笑)

楽しい!

実は私、楽器というものに対して、ものすごくコンプレックスがあった。
神童(^^;)とまで言われたコドモ時代、たいていの事は「人より早く上手にできる」と思い込んでいるイヤ~なコドモだったのだが(^^;)挫折するのも人より早く(笑)ハーモニカでつまづいたのだった。
オール5だと思っていた通知簿の音楽だけが4で、通信欄に『もう少しハーモニカの練習をしましょう』と書かれていた事を、いまだに覚えているくらいだ(^^;)
たぶん先生は『がんばって練習してね』という意味で書かれたのだと思うのだが、くじけやすいコドモでもあった私は「ボク、音楽の才能ないねん」と早々とあきらめたのだった(笑)
地道に練習する、というのが何より苦手なAHOだった。
それから、縦笛とか木琴とかトランペットとか、音楽の授業に出てくる楽器すべて、習う順番に次々と挫折していった(笑)
そして・・・誰もが青春時代に一度は通る道(^^;)
そう、ギター、
これこそが最もあこがれ、最も挫折した楽器だった。
もともと手先は器用な方だと思う、マジで、
でも、そのゴッドハンドも、ギターの弦に対してはまったくの無力だったのだ・・・orz
なぜだろう?と真剣に考えた結果、これはおそらく、中指と薬指が極端に長く、人差し指と小指が短いという私の手の特徴のせいであろうという結論に達したのだった。
(・・・ハーモニカに指の長さ関係ないやん!(。。 )\バキッ☆ )
とまぁ、イヤなものにはすぐ目をつぶる性格もあり、その後はずっと「音楽にはキョーミ無し!」で通す事にした。
それがなぜか、高校時代、コーラス部のお姉さんとおつきあいを始め、今ではコンサートの司会までするようになったというのが人生の妙ってやつですなぁ・・・(笑)
ちなみに、歌う事は酒の味を覚えた頃から好きになり、上手下手は別にして(^^;)カラオケに狂った時期はある。

てなことで、長らく楽器そのものから身を遠ざけていた私に、一筋の光明が差したのが5年前の高野山クラフトキャンプだった。
なぜかものすごく惹かれるものがあり、無理にお願いして購入させていただいたのが「角笛」
制作者の方に『ちょっと音がおかしいけどええの?』と言われたのだが、「吹く方もちょっとおかしいからちょうどええです」(笑)
この、「ちょっとおかしい」のが、本当に私には「ちょうどよかった」ようで、通常の指の位置ではなく、自分でいろいろ試して、例えば穴の三分の一くらいを解放したり、息の強弱で音を調整したりして、生まれて初めて、楽器で楽しく遊ぶ、という事ができたのだった。
いや・・・生まれて初めてはあれか?(^^;)
その昔、宴会ではサンバホイッスルを駆使して大騒ぎしていたので、「笛の恵峯さん」と呼ばれていた時期もあったのだ・・・(笑)
しかしまぁあれは、2音の世界、しかも常に酔った状態だったから、演奏・・・とは言えないわなぁ(^^;)
とにもかくにも、その「角笛」は、「ちょっとおかしい」からこそ、「ちょっとおかしい」音が出ても、気にはならず、無心にポーポーピーピーと吹き鳴らすのが、自分でも「ちょっとおかしい」し、何より楽しかったのである。
むろん、自分では音取りなんぞはできるはずもなく、まず、カミさんにこの角笛で出せる音を聞き分けてもらった上で、自分の吹きたい曲の音譜をカタカナで書いてもらい、一つずつ音を確定させていくという、非常にめんどっちく、今までの自分なら見向きもしなかったであろう作業を延々と続けたのであった(笑)
結果、自分でも驚くほど音が出せるようになり、なんとか曲として吹けるようになったw(゜o゜)w
ただし、人前では絶対吹かないのだが(笑)
つーか、今まで、ブログにも書いた事がないわけで、それだけ、コンプレックスが強かったという事だ(笑)

さて・・・
角笛が吹けるようになって、次にチャレンジしたのはケーナだった。
これも、なんとか音が出せるようになり、今でも時々、銀にだけは聞かせている(笑)

で・・・今回の三線、
ギターで挫折した私、弦の数が少ないのにつけ込んで再チャレンジ?(笑)という事ではなく、「歌いたい」からなのである(^^;)
角笛もケーナも、当然の事ながら、音を出している間は歌えない。
これがちょっと物足りないし、角笛は1オクターブと三分の1しか音域がなく、吹きたいのに吹けない曲が多いのと、ケーナの場合、まだまだその日によって音程が怪しいので、だんだん挫折感が出てきていたのである。

そんな時に三線と三板に出会い、しかも、ものすごく楽しい演奏を見て聴けた事で、私の中に、それまでおそらくずっと押し殺していた「あこがれ」が芽生えたのだと思う。

「あんな風に弾いて、叩いてみたい」
この気持ちこそ、「あのブドウはすっぱいのさ」的性格(^^;)の私にとって、一番持ちにくい、いや、持とうとしない気持ちなのである。

・・・と、ここまで書いて、自分のコンプレックスと向き合うのは大変だと言うのがよくわかった。

なにしろ「沖縄へ行って三線と三板の演奏を聞いて、自分もやってみようと思った」と、
たった一行ですむ事をここまで延々と書かなければ説明できないのだから(笑)

てなことで・・・

また、練習してこよ~っと(笑)

ちゃんちゃん

2009年7月11日 (土)

フォーラム

和歌山県・持続可能な観光まちづくりフォーラムin高野山 

でした(^^;)

なお、本日午前1時頃、龍神スカイラインの護摩団山から田辺側へ約7km地点で土砂崩れがあり、全面通行止となりました。
13日(月)現在では片側交互通行で復旧作業中、との事です。

2009年7月10日 (金)

沖縄編 その17 かりゆしの旅をふり返る

自分でも「これ、いつ終わるん?」と思った沖縄編だった(^^;)

24日に帰山してから、身辺でもいろいろな出来事があり、実はブログを書く余裕など無い状態が続いていたのだが、画像を時系列で見ながら2週間、連日、泡盛の飲み過ぎで薄れて行く記憶を、掘り起こしつつ書いた(。。 )\バキッ☆

ある人に『よくまぁ毎日書けるね』と半ばあきれたように言われた。
「・・・あれが私の、唯一の現実逃避ですねん」と答えた。

実際、ブログを書いてる間だけ、辛い(^^;)現実を忘れ、楽しかった沖縄を再体験できていたのである。

しかし、沖縄について何か書くのは大変難しい・・・というか、気を遣う・・・というか・・・私は気を遣いながら書いてるんですよ~というような気持ちを、どこかに滲ませたくなるというのが正直な気持ちだった。
特に今回、「慰霊の日」に旅程が重なった事で、その思いが強まったように思う。

昭和20年、敗色濃厚の中、「本土決戦」に備え、沖縄を捨て石にした内地側に住んでる人間として、贖罪意識のようなものを持たねば沖縄へ行ってはいけないような気がしていた。
同じような気持ちを、中国や韓国に対しても感じる時もあるが、少し違う。
中国も韓国も、日本を糾弾する手段を持ち、それを実行もしているのに対し、沖縄は本土に対し、いじらしいと思えるほど、耐えているように思うからだ。

そもそも本土、という言葉も、いかにも上から目線の嫌な表現だ。
その昔、沖縄は大琉球と呼ばれ、台湾が小琉球(現在の台湾にある小琉球とは別)と呼ばれたように、明の時代から冊封体制に入り、後に薩摩藩にも重属させられる事になるが、明治の初めに清との領有権の取り合いに勝った日本により、無理矢理「県」として組み入れられただけで、四百数十年間は「琉球王国」として独立していたのだから。

そして、その琉球の文化こそが、この南の島の人々のおおらかさが結実したもののように思える。
まぁ、南の島の人はみなおおらかだ、というのも偏見かもしれないが(^^;)
朝貢相手である明、そして、薩摩藩、どちらも厄介な相手ながら、二つの国の文明を琉球風に換骨奪胎して独自の文化を創り上げたのは事実だ。
例えば、服装などは中華風だが、国内の公文書(明に対しては漢文)や歌集などでは「ひらがな」を使っているし、エイサーも元は浄土教の念仏踊りが起源だという。
日本でさえ、公文書は漢文を使ってた時代に、琉球ではひらがなを採用しているわけで、これだけ見ても独自の文明観があった事が伺えるではないか。
また、薩摩藩のプレッシャーが原因ではあるが、王国として、宮古島等の先島諸島に対し、侵略を行ったり、人頭税を課したりした歴史も持っている。

初日に、今帰仁城跡で、その王国の前の時代の城跡を見た。
そこでは、明に冊封され薩摩藩に重属させられた琉球王国こそが、侵略者だった。
しかし、さらにさかのぼれば、城が築かれたという事実がそれより以前の「戦」を証明している。
どこまで行っても、人類の歴史は殺し合いの上に成り立っているのだろうか・・・
そしてさらにその日は、「海洋博アノミー(社会体制の崩壊)」という言葉まで生まれた、インフレと本土からの土地買い占め、そして、ブーム後の放棄という、負の遺産の後始末のような「美ら海水族館」へ行った事で、なまじ楽しかった分、贖罪意識が増すような体験もした。
しかし次第に、現地の人と出会い話す事で、沖縄という土地がどんどん好きになっていったのも事実だった。

蹂躙された土地に、心温まる人たちが住んでいる。そういう印象だ。
それにくわえて海中の光景を始め、豊かな自然がさらに、私のささくれだった心を癒してもくれた。
巨大資本(それもたぶん本土、そして・・・外貨)によって、その自然は区切られてもいたが、100年もたてばホテルは改築(あるいは消滅)されているだろうが、象の鼻は健在だろうとも思えた。
(琉球性石灰岩は浸食されやすいので、多少、形はかわるだろうけど(^^;))
そして・・・100年たっても、絶対、ここの人々はエイサーを踊り、三線を弾き、三板を鳴らしているだろうと思う。

願わくば、ウチナンチューもヤマトンチューも関係無しに・・・

以上、沖縄について、たったの二泊三日で、何やらわかったような事を書いてきたが、実はさっぱりなーんもわかっていないのだけはわかっている(^^;)

しかしこの旅で、沖縄が大好きになった事だけは、確かなのである(^-^)

ちゃんちゃん

2009年7月 9日 (木)

沖縄編 その16 かりゆしの旅

※6月24日 午後の日記 その2

午後4時半、レンタカーを返却し、那覇空港まで送ってもらった。
さぁ・・・後は、2時間弱の飛行に耐えるだけである(^^;)
ここで私は、カミさんとの交渉に入った。
つまり、この二泊三日間、万座毛からホテルまでを除いて、すべて私が運転した。しかも二泊三日間、すばらしい場所で過ごし、すばらしい人たちに出会えたおかげで、とても楽しく過ごすことができた。できればこの「かりゆし」な気分のまま家に帰りたい。それを阻害する最大の障壁が飛行機である。飛行機内で不安にならないための特効薬はすぐそこのショップにある。そうそう、今日はお昼抜きだから、軽食を摂りつつちょっとだけ服用するのはどうだろうか・・・

って、長々と書いたが、実際は・・・
「昼抜きやからちょっとお腹すいたねぇ、あ、軽食のショップがあるや~ん、うわ、余計な事にビールもあるしぃ・・・帰り運転してぇ~」と言っただけ(。。 )\バキッ☆

カミさんもまぁご機嫌だったので(^^;)『もう、しょうがないわねぇ・・・』と言いつつOKが出た\(^o^)/
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てなことで、せっかくだから念のため2杯・・・(。。 )\バキッ☆

往路はANAだったが復路はJALだった。
ちなみに、荷物チェックはJALの方が優秀らしい(^^;)
というのも、「沖縄編 その1 飛行機」で書いた通り、来るときにすべて没収されたと思っていた百円ライターのうち、ただ一つの強者(笑)が旅行中、穿かなかった短パンのポケットに残っており、それがJALの検査員さんの目にとまったのであったw(゜o゜)w

荷物チェックの際、検査員さんが、バッグのレントゲン画像を見て『あの・・・ライターらしきものがあるんですが』と言った時、私は「まさかぁ~来るとき全部取り上げられたんですよ~」と一笑に伏したのだった。
しかし、検査員さん、にこやかな顔で『う~ん、しかしこれはたぶんライターですねぇ・・・』
「げっげぇ~」orz
『ここで、バッグを開けていただけますか?』
ちなみにこの時点では、どこにライターがあるのかわかっていなかった。
「まさか伊丹で見逃すとは思えないんですけどねぇ・・・」と私はバッグを開けた。
とたんに、ホテルを急いでチェックアウトしたため、ぎゅうぎゅうに詰め込んだ衣類がバッグから飛び出さんばかりの勢いで・・・(笑)
何しろソフトバッグだけにポケットがたくさんあり、どこに何が入っているのかよくわからないorz
「こ、これですかね?」と、衣類やミニバッグを検査員さんに渡し、一つずつチェック(笑)
・・・そしてついに、この旅行中、持ってきたけど一度も穿かなかった短パンのポケットから、1年前に入れたままだった(。。 )\バキッ☆ の百円ライターが発見されたというお粗末orz
『良かったですね、見つかって』とあくまでにこやかな検査員さん。
「お手数かけました」と平謝りの私。
カミさんは例によって、『この人は・・・』的にニコニコ(笑)
『どうなさいます?このライター』
「放棄しま・・・いや、ちょっと待って下さい、こっちを放棄して・・・」と、三日間使ったライターとサヨナラして、その強者ライターを手にした私だった(笑)
「き、記念、て事で・・・」(^^;)
『どうぞ、お気を付けて』と最後までにこやかだった検査員さん。
すんませんでした~m(_ _)m
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そして・・・
すったもんだの挙げ句、機中の人となったのだが、帰りの飛行機はほとんど揺れず、飲めただけラッキー?(。。 )\バキッ☆

しかしそれにしても、今回も濃い旅だった。
そして、すばらしい旅でもあった。
今帰仁城から那覇の国際通りまで、昔の沖縄から今の沖縄まで、その歴史の一端を知ることができた。
そして、たくさんのすばらしい人に出会え、言葉を交わす事ができた。
カミさんともケンカせず二泊三日を過ごせた(^^;)

途中で、機外の空が真っ赤に焼けていそうな案配だったが、窓に近づく事はせず、座ったまま全天を覆う夕焼けを想像するにとどめた。
おそらく、数日前の私なら、窓にへばりついて何枚もシャッターを切ったと思う(^^;)
想像する楽しみ、というか、今度来た時、窓際の席で、この夕日に出会えたらいいな。そんな風に思える自分がいたのだ。沖縄の持つ、一種独特の南国的大らかさが少し体に入ったような気がした(^-^)
酔ってるから窓際まで行くのがめんどっちかった、という気もしないではないが・・・(。。 )\バキッ☆

これからはたぶん、困った時に「なんくるないさ~」とつぶやく自分がいるだろう。

たったの二泊三日で、ここまで浸りきれる自分が好きやな~(笑)

そして・・・

やっぱり最後はいろんなモノやいろんなヒトに、

おおきに、ありがとう、ニフェーデービル!m(_ _)m

かりゆしかりゆし(^-^)

2009年7月 8日 (水)

沖縄編 その15 楽しい買い物、2題

※6月24日 午後の日記

実り多き三線体験終了後、その気になったカミさん(と私も(^^;))が、喜久山先生から三線を斡旋していただくという事になり、さらにいろいろ教えていただいている間にチェックアウトタイムが迫ってきた。
急いでホテルにもどり、荷造り、というか、バッグに荷物を詰め込む(笑)
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この、ユニバーサルデザインを超えた(笑)あくまでトロピカルすぎてよくわからないエレベータ表示ともお別れだ。
てなことで、万座ビーチさん、お世話になりましたm(_ _)m

さて、ホテルを出て那覇へ向かう途中、カミさんがまた『ちょっとあそこのお店が気になるんやけど』という事でいったん来た道をUターン(笑)
それは、いつもなら絶対無視するであろう(笑)建物全体が「真っ赤」に塗られた「MANGO HOUSE」というショップだった。
しかし店内は落ち着いた雰囲気で、イケメンで木訥、という、非常に好印象なお兄さんが接客してくれ、本物の「かりゆしウェア」をとっかえひっかえ試着させていただき、楽しく買い物をさせてもらった(^-^)
※かりゆしウェア」は沖縄県工業連合会の商標登録であり、ブランド名の使用にあたっては連合会の委託を受けた沖縄県衣類縫製品工業組合が認定を行なっている。認定にあたっては、1. 沖縄県内で縫製されたもの(布地は県外で生産されたものでも良い) 2. 沖縄観光をPRする柄のもの。という厳しいチェックがある。
このお店、那覇その他で6店舗を展開しているとの事で、デザインが秀逸な上、ポケットや前立てで、柄がずれないように丁寧に縫製されていて、着心地が良い。
サイズ的にはやや細身なので、ワンサイズ大きめを選んだ。
お勘定の時、お兄さんが、よろしければ写真とメッセージを、との事だったので、カミさんと一緒に、その時の気持ちをそのまま書いたら、HPの「お客様の声&写真」に載せてくれたので転載しておく。
いやぁやっぱり、ええお兄さんやったんやね~(^-^)T_090624mngohouse
てなことで、万座から那覇までは1時間足らず、午後2時前に到着、レンタカー返却まではあと数時間、ドースル?
「首里城へ行ってみる?」
『今帰仁城のイメージを持ったまま帰りたい』
「それもそうやねぇ・・・よっしゃ、ほな・・・」
『どうするの?』
「いやその・・・(^^;)「国際通り」ってとこをいっぺんでええから通り過ぎてみたい(笑)」090624kokusai1
AHOである、いくら平日とは言え、名にし負う渋滞名所(笑)
しかし、久々に都会へ出てきた気分で車中から何枚か撮ってみた。090624kokusai2
これはたぶん「MANGO HOUSE」の那覇3号店、ね、赤いでしょ~(笑)090624kokusai3
この店を発見した時は、思わず車を停めるところを探しかけた(笑)090624navi
ナビは、交差点ごとに、迂回して違う道へ行け、と告げていた(笑)
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そして国際通り(の渋滞)を堪能した後、お昼ご飯を食べるところを探しつつ車を流していると、またカミさんの「勘」が炸裂!w(゜o゜)w
『ちょっと・・・車、停めるとこないかしら』
「ほいほ~い」と、すぐ近くにあったコインパーキングへ。
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土地の有効活用?すごい配置(^^;)
ちなみに、これが三日間、私たちを運んでくれたTIIDA君である。
『喫煙車』をチョイスしたら、最初すんごいヤニ臭かったけど、三日の間、素敵なロングピースのフレーバーで燻し直したので、最終日は快適だった(笑)
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パーキングからカミさんは、さっき通り過ぎた記憶を頼りに歩き始めた。
私は、久しぶりに見る(現場監督時代の福岡で見て以来)、時間帯によって中央線が変更される交通システムにちょっと感動。
今ではけっこう日本中で採用されているシステムのようだが、現場監督時代、福岡で初めて見た時は、切り替わる瞬間を楽しみにしていたものだった(笑)
そして、何軒か楽器屋さんがある中の一つを選んでカミさんは入っていった。090624shop2
これがまたもや大正解!
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琉球由来の楽器の品揃えも豊富だが、それよりも、応対していただいた奥さんがすごかった。ものすごく沖縄音楽への造詣が深く、カミさんの数々の質問に事細かく丁寧に回答してくださり、現代風と昔風の演奏法やウチナーグチの変化まで教えていただけたのであるm(_ _)m
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しかもこのお店、階上には工場があり、そこで実際に三線を作っているそうで、店内では最後の組み立て作業をしていた。
大正時代の芭蕉の渋皮貼りの三線とか、米軍放出のパラシュートで作った三線、さらに、戦後、ニシキヘビの皮が入手困難だった頃の牛の皮でできた三線なども展示されており、すっかり昼ご飯の事は忘れて熱中(笑)090624shop3timi
そして・・・(^^;)
三線は喜久山先生に斡旋していただくので、ここではスルーだが、午前中、穴の小ささに苦しめられた爪(チミ)は、すぐにサイズ調整していただけるというのでゲット~!\(^o^)/
もうすっかり三線にハマってしまっている夫婦であった(笑)
さらにカミさんは、古い時代の楽譜等もゲットでき、満足まんぞ~(^-^)
ちなみに私は、三板(さんば)の教習DVDをゲットしたのであーる(笑)

かりゆしかりゆし

2009年7月 7日 (火)

沖縄編 その14 三線体験

※6月24日 午前の日記

ちょっと緊張の朝が来た(^^;)
ウドゥイガマ編」で書いた通り、カミさんが商工会さんに電話して、いろいろお尋ねした結果、通常は午前10時から2時間の三線体験を、午前8時半からに繰り上げて、二人で受講できるようになっていたからであるm(_ _)m
恩納村商工会では、様々な体験学習プランが用意されていて、この日も、中学生の修学旅行?で満員だったようだが、わざわざ時間をずらして受講できるように取りはからってくれたのである、感謝m(_ _)m
ちなみに・・・その中学校は「龍神中学校ご一行」と案内されていたので、「ほほぉ~やっぱり沖縄にも勇ましい名前の学校があるんやねぇ」と感心していたのだが、後でカミさんが、商工会の方に『今日は和歌山県の方にご縁があるようで・・・』と言われたらしいw(゜o゜)w
つまり、ご近所の龍神村の中学校だったわけで、奇遇と言えば奇遇?(笑)
てなことで、午後8時半から、喜久山実先生のご指導のもと、三線体験が始まった。
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喜久山先生は、三線の師範として各大会の審査員もされていらっしゃるそうだが、実に気さくな方でもあり、『私が指導したら中・高校生なら2時間で「十九の春」が弾けるようになるんさ』と力強くおっしゃった。
この場合の「中・高校生」とは、「頭と手が、大人ほど固くなっていない」という意味であり、決して「中・高校生でも」という意味ではない。つーか、練習が始まってそれを痛感!(^^;)
さらにカミさんが、『「十九の春」も弾きたいんですが、ぜひ「安里屋ユンタ」を』とお願いしたもんだから、先生、『それちょっと難しいよ、まぁがんばってね』と、練習の厳しさが増したのであった(^^;)
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そして、合、中、工、七・・・と、いわゆる漢字表記の「工工四(くんくんしー)」の楽譜と格闘!が始まった(^^;)
カミさんには素養があるが、私は全くのド素人、しかし、先生の熱心なご指導のおかげで、お世辞だろうが『うん、二人とも、高校生並には飲み込んどる』とのお言葉をいただいた(^-^)v
ちなみに、三線は人差し指に画像にある爪(チミ)を付けてつま弾くわけだが、これがそれこそ「中・高校生用」らしく、穴が小さい~(ToT)
約一時間後、『あんた、指は動いてるけど、音が出とらんね』と指摘されたのだが、完全に人差し指に段差が出来、ずきずきと痛むので、それどころではなかったのである(ToT)
と、『ちょっと休憩しようか、各自練習しといて』と先生がいったん退場。やれ助かった(^^;)
指をマッサージした後、私もちょっと一服をと、来たときに見つけておいた喫煙所へまっしぐら(。。 )\バキッ☆
と、そこでは先生がすでにタバコを吸っていた(笑)
そして・・・
先生の三線一筋のご経歴を聞くうちに、子供の頃の思い出話も聞かせていただいた。
『譜面じゃなく、耳から覚えたのさ』先生はそうおっしゃった。
先生が小学校低学年だった戦時中、沖縄ではあの悪名高き「方言札」の制度があり、沖縄の言葉を使った場合、カマボコ板くらいの大きさの札を、見せしめのために首から吊るされたのだそうだ。三線もまた例外ではなく、校長先生から弾くことを禁じられた先生は、それでも、沖縄特有の高床の民化の縁の下に潜り込み、練習に取り組んだのだという。
「見つかりませんでしたか?」
『見つかったし、叱られた(笑)札を七枚くらいぶら下げられたさぁ』先生は愉快そうにおっしゃった。
「それで・・・」
『それもでやめんかった、好きやったから』
そして・・・学芸会で、実際に全校生徒の前で演奏する機会を得たのだそうだ。
すると校長、怒り心頭と思いきや・・・『もう、やめんでいい、好きなだけ弾け』と言ってくれたのだという。
おそらく校長先生も、上からの圧力を受けながら悩んだ上での「指導」だったのだろう、それを十歳ちょっとの少年が、三線の才能でひっくり返してしまったわけだ。
なんとすばらしい話だろうか。
で、その時、先生が弾いた曲が「浜千鳥」と聞き・・・

↑それならカミさんの持ち歌です、となったのだが・・・「浜千鳥」違いで、全然別の曲だったのだが(^^;)先生、戸惑いつつも伴奏してくれたのであるm(_ _)m

てなことで、それからまた1時間、
これ以上なく集中して取り組んだため、♪ファ、ラ、ド、より、むしろ♪四、中、工~の方がわかりやすく馴染むようになったのは、やはり先生の名指導のおかげだろう(^-^)

カミさんはカミさんで、ウチナーグチのイントネーションを教えていただいたりして、ものすごく充実したようだ。

最後に、先生がおっしゃっていた印象深い言葉を紹介しておきたい。
沖縄の歌、というのは、歌詞が短いが何番もある、という曲が多い。それは、みんなが歌い、輪になって踊るためなのだそうだ。ところが昨今、沖縄の歌が本土でも流行るのは嬉しいのだが、1番か2番を歌うと、『はい、次の曲~』となるのが残念で仕方がないとの事だった。
昨夜、真南風のメンバーさんが、『沖縄の音楽は、みんなで輪になって踊る事です』と舞台に客を誘ってくれた事を思い出した。
あれは楽しかった(^-^)ウチナーもヤマトンチューも関係なく、みんな笑顔だった。
歌は世に連れ、世は歌に連れ・・・という言葉があるが、いつか、先生がおっしゃったように、みんなで一つの歌を何番も歌いながら、輪になって踊る時代にまたなるといいなぁとも思った。
先生の三線の音もまた、そういう魅力に溢れていたのである(^-^)

先生、ニフェーデービタン、ですm(_ _)m

2009年7月 6日 (月)

沖縄編 その13 ビーチ居酒屋 ちゃんぷる

※6月23日 夜の日記 その2
ショー終了後、こちらが心配になるほど遅くまでm(_ _)mいろいろとレクチャーをしていただいたので、午後10時近くになってから食事タイムとなった。
この時間からでも食事ができるのは、プライベートビーチの前にある「ビーチ居酒屋 ちゃんぷる」のみ。
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歩いても数百mなのだが、ホテル前から送迎車を随時出してくれるというので甘える事にした。
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けっこう凝った作りのエントランスだったので、写真を撮ろうとしたら、送ってきてくれたお兄さんが、気を利かせて2ショットを撮ってくれたm(_ _)m
入り口のメニューに目をやると、なんとなんと、喫煙できる時間帯ではないか\(^o^)/
助かる~(^^;)
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で・・・アグーって何やろ?と思いつつ入店。
どうやらここは、宿泊客以外にも解放されいるようで、会社帰り風の人たちがにぎやかに酒盛りしていて、「居酒屋」の雰囲気満点(^-^)
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↑観光客用メニューも解説付で完備され、親切(^-^)
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ゴーヤーって、bitter melonじゃくて、bitter gourd(ひょうたん)やったんやw(゜o゜)w
まぁどっちもウリ科やろけど(笑)
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てなことで、なぜか沖縄に来てから、動き回ってる割にお腹が空かないのをカミさんと不思議がりつつ・・・基本的には泡盛の肴として(^^;)『海ぶどう』と『豆腐よう』と、看板メニューらしい「売り切れご免、一番美味い 『アグー バラ肉の串焼き』 ニンニク 紅塩添」を注文、
というよりは、フロアマネージャーさんのオススメに従ったまで(笑)
この方、比較的、観光客に対しては寡黙な人が多いという印象の、沖縄人とは思えないくらい、まぁよくしゃべる人で(笑)その一言一言が実にうんちくに富んでいて楽しかった(^-^)
(後で聞いたら、大阪出身との事でさもありなんと爆笑)
さて、お味は・・・
「海ぶどう」も「豆腐よう」も大阪で美味しくいただいた事があるのだが、さすがに本場のはフレッシュでさらに美味しかった(^-^)
「海ぶどう」はともかく、沖縄豆腐を乾燥させて、泡盛と紅麹で発酵熟成させた「豆腐よう」がなぜフレッシュな感じがしたのかというと・・・
これもフロアマネージャーさんに、「『豆腐よう』って、大阪でも食べられるんですが、さすがにちょっとキツい(味が濃い)ので大量に食べるもんやないと思ってましたが、ここのはいくらでも食べられそうな感じで美味しいですわ」と言ったら、非常に喜んでくれ『実は、生産者と何度も試行錯誤して、軽やかさを出すようにしてるんです、年配の方などには『これは豆腐ようじゃない』と言われたりもするんですが、そうおっしゃっていただくと、とても嬉しいです』との事だった。
観光客向けに「ライト」にした、と言えばそれまでだが、そのルーツは台湾や中国の「腐乳」と言われているだけに、まさに『滋味掬すべし』と文語体で表したくなる旨味などは、濃すぎない分、初心者?(^^;)にはわかりやすい気がした。
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串焼きが旨かったので、ソーセージも注文(笑)
「アグー」についても『琉球在来の小型の黒豚』と教えていただいた。
おそらく脂肪分が少ないのであろう、豚肉というよりは、猪肉の赤身という感じで、肉汁は牛っぽく、臭みがなくて、めっちゃ美味しかった(^-^)

てなことで、なぜか画像を取り忘れたのだが、飲んだのは泡盛の古酒。
これも、フロアマネージャーさんのご指導の通り、ロックで43度のをちびちびと・・・(笑)
私は、お酒+氷、という組み合わせは苦手で、ウィスキーでもソーダか水で割る方が好きだ。まぁ、ストレートが一番好きなのだが・・・(。。 )\バキッ☆
なぜかというと、氷というヤツは当然の事ながら時間とともに溶けるので、お酒の濃度も変化してしまう。それがもうなんちゅーか、イヤなんよねぇ・・・
うまく説明できないが、その酒の味、ってのは、水で割ろうがソーダで割ろうが、お湯で割ろうが、とりあえず、かき混ぜた時点では一定となり、その一杯は決まった濃度で味わいたいとずっと思っていたのだった。
そして次の一杯も濃度を同じにする事で、その夜のその酒は同じ味で飲んでいるという、誠にはかなげな「安定感」のようなものを求めていたのかもしれない。
これ、考えるまでもなく、飲んでる方の血中アルコール濃度が刻々と変化してるわけで、二、三杯目からは何を飲んでもその違いがよくわかるとも思えないのだが(^^;)目の前の酒だけには確固たるものとして存在していてほしいとかなんとか・・・(。。 )\バキッ☆
焼酎系なら、夏でもお湯割り以外はあまり飲んだことがない、その場合、よく、ロクヨン(焼酎6:お湯4)と言われるが、私の場合は、焼酎4:お湯6くらいがちょうどいい。
弱いからである(^^;)
いや・・・焼酎の場合はお湯で割る、という印象から常に飲み過ぎる場合が多く、最初からセーブしているのかもしれない。まぁ、これも飲み過ぎれば同じだが・・・(。。 )\バキッ☆
てなことで、ここで初めて、泡盛のロック、というのを味わったわけなのだった。
結果、美味しい肴と楽しい会話の合間に、ちびりちびりと飲むことに成功できたように思う(笑)
今まで、焼酎系の蒸留酒を味わって飲む、というのは、たまにいただくいわゆる「名酒」をストレートで、という事はあったが、「ロックで」というのは邪道だと思っていた。
ところが、今夜の泡盛の古酒は、氷が溶けるとともに、その味がまろやかに変化し、一口ごとに新鮮なおいしさを感じさせてくれた。
南国で飲んでるという意識があるため、冷やされた古酒が唇にも快い。
昔、冷凍庫でギンギンに冷やしたジンのストレートを粋がって飲んでた頃を思い出す(笑)
どちらも、「冷やす道具」という文明の利器がもたらした飲み方だが、それは本来の飲み方ではない、などという野暮な事も今日は思わない(笑)
ひたすら、楽しく、ご機嫌な夜だった(^-^)

いっぺぇ にふぇ~で~びたん m(_ _)m

2009年7月 5日 (日)

沖縄編 その12 真南風(まふぇかじ)

※6月23日 夜の日記

ホテルに戻ってロビーでバイオリンの生演奏を聴いたり、あちこちのショップをぶらぶらしてたりしたら、午後8時半を過ぎていた。
そろそろ夕食をどこかで・・・とホテルのパンフを見ると、琉球料理ORCHIDというレストランで、午後8時45分から30分間の琉球太鼓その他のショーがあるという。
これは行かずばなるまい~(^-^)
てなことで、着席したのがちょうど8時45分、料理はもう無理との事だったので、とりあえず泡盛のロックを注文して・・・飲むのを忘れた・・・つーか、この私が(^^;)30分間で2杯しか飲まずに見ほれるほど、すばらしいステージだったのである。拍手!

その1「残波大獅子太鼓(ざんぱ うふじしだいこ)」

その2 「琉球舞踊」

その3 「獅子舞」

↓その4

三線(さんしん)と三板(さんば)の演奏からスーパーエイサー、そして、『沖縄の音楽は、みんなで輪になって踊る事です~』と舞台へのお誘い(^-^)動画の最後ころ、画面が揺れてるのは、思わず私も踊り出してしまったからである(^-^)

おまけに、シーサー君との記念撮影まで(^-^)サービス満点!
見る、聞く、だけでなく参加もできて、これはまさにショーを超えたエンターテンメント!(^-^)
私はすっかり、銀をなでてる気分だったが、カミさんはちょっと怖かったらしく腰がひけている(笑)
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そして・・・ここからがさらに楽しかった(^-^)

というのも、画像中で叩いているパーランクー(片張りの打楽器)だけは、ずっと前から持っているカミさんが、「沖縄の音・リズム」を知りたいと、終演後、お客さんを送り出すために出口に集合していたメンバーさんに、叩き方を、おそるおそる質問したところ・・・

なんとなんと、親切、丁寧、パワフルに、レクチャーして下さったのであるm(_ _)mカミさん、喜んでノリノリ~(笑)

そして、さらに、しっとりとした曲調のレッスンまで・・・m(_ _)m

画像をご覧いただけばわかるが、決しておざなりではなく、心から、それも自ら楽しく、一所懸命伝えようとされているのが伝わってくる。
聞けば実力も超本物の方々で、和太鼓集団「残波大獅子太鼓(ざんぱうふじしだいこ)」としては、東京国立劇場での『日本の太鼓』公演では大トリを飾り、エイサー団としては「真南風(まふぇかじ)」、舞踏団としては「遊花(あしばな)」として、年間3100ステージ以上に出演されているとの事w(゜o゜)w
ちなみに、この日もこれが10ステージ目とかw(゜o゜)wそのパワフルさに驚くと共に、一観光客にすぎない私たちにさえ、心から沖縄の音を楽しんでもらいたいと思って下さるお気持ちに超感動!m(_ _)m
忘れえぬ楽しい時を過ごさせていただいたm(_ _)m
感謝、感激、という言葉では言い尽くせない思いであるm(_ _)m
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記念撮影も元気一杯に応じて下さり、カミさんますます感激m(_ _)m

ちなみに、私は・・・

現在、このお兄さんに教えてもらった三板のたたき方の特訓中である事は、言うまでもない(笑)

楽しい夜を、イッペー ニフェーデービル!m(_ _)m

2009年7月 4日 (土)

沖縄編 その11 万座毛

※6月23日 午後の日記その3

ウドゥイガマを出て少し歩いてみた。
今にも踊り出しそうな・・・というか、今まさに踊ってるような木(笑)があった。今日はそうでもないが、よほどの強風が吹くところなのだろう。
根元のゴミ袋がちょっとつや消し(^^;)だが、これも沖縄流?で「なんくるないさ~」なのかもしれない。
ちなみに、この根っこ、強風にさらされて露出したものではなく、確か「気根」という酸素を吸う役割を果たす根が、地面まで降りて木を支える「支柱根」になったものだと・・・思う(^^;)
↑気根と支柱根は別の役割だから、この説にちょっと自信なしm(_ _)m
ガジュマルなどでも見られる、いかにも熱帯の木という感じだった。
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同じ木にパイナップルみたいな実がついてるのが・・・w(゜o゜)w
しかしパイナップルなら上向きに成るはず、
これもあとで調べたら「アダン」という木で、この実はかつては食用にされていたのだそうだ。
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↓これも何か変わった花やな~と思い、帰ってから必死こいて調べたら(「花」なら調べるの方法もあるが、この状態だとなかなか・・・(ToT))、なんとなんと、あの美しい月桃(ゲットウ)の花が咲き終わって実がなり始めたところ、だった。
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秋までかけてこの袋の中で種が実るのであろう。
そして・・・
何か突然、めっちゃ広い場所に出た。
↓はるか南にかすんで見えるのは真栄田岬か・・・?
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↓この時点で午後5時半過ぎだが、あいかわらず日差しは眩しい。
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↓そして北を見ると、遠くに万座ビーチホテルが・・・090623manzamo03
つまりここ、180°以上が見渡せる平原なのである。

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↑無理矢理パノラマにしてみた(笑)
なんというか・・・画像では絶対伝わらないであろう、ものすごい光景だった、うん。
・・・てなことで、ぜひ、ここで日没を・・・と思ったが、まだ2時間以上あるので、車に戻り、平原つながりということで、万座毛へ行ってみた。
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万座毛(まんざもう)「毛」とは、原野や平原のことで、18世紀前半、時の琉球国王 尚敬が北山巡視の途中、ここに立ち寄り、「万人を座らせるに足る」と称賛したことから「万座毛」と名付けられたと伝えられている。また、尚敬王行幸の際に地元の女流歌人恩納ナベ(おんぬなびー)が王一行を歓迎して詠んだ、
「なみぬくぃんとぅまり
 波の声もとまれ 
 かじぬくぃんとぅまり
 風の声もとまれ 
 しゅいてぃんがなし
 首里天加那志 
 みうんちがま
 美御機拝ま」の即興歌は、

波の音よ静まれ
風の音よ静まれ
首里の王様がおいでになった
そのお顔を拝もうではないか・・・というような意味らしいが、大変に有名な歌らしい。
これも帰ってから「恩納ナベ」で検索してみたら、この「王様万歳!」的な歌の他にも、

恩納松下に 禁止碑の立ちゅし
恋い偲ぶまでぃの 禁止やねさみ

恩納の松の木の下に、(男女の毛遊びを)禁止する札が立てられてるけど、
恋い偲ぶこの気持ちまでは禁止できないでしょう

※「毛遊び」は「もうあしび」、一人前とみなされる結婚適齢期の若い男女が、野原で夜な夜な集まり、飲食を共にし、歌舞を中心として交流した集会をいう。
いわば、本土の盆踊りのようなものだろう、風紀を乱すとして、度々禁止令が出されたらしい、にもかかわらず、『王様にだって、恋心はしばれない』と詠った恩納ナベのいかにも、南国の開放的なおおらかさと、さらに、この歌が残っているのに処罰されたりした記録が無いところをみると、琉球の王様もある程度大目に見ていた事がうかがえ、これも沖縄らしいエピソードと言えよう(^-^)
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午後6時過ぎ、ぼちぼちと店仕舞いしかけていた、万座毛の駐車場にある出店で、「サーターアンダギー」を買う。
つーか、カミさんが『あ、サーターアンダギーがある~』と言うので、「サーターアンダギーって何よ?」と聞くと・・・『難波でよく売ってるやん』との事で、食べた事はあるそうなのだが、それがいったい何なのかは、知らないらしい(笑)
『まぁ・・・ドーナツみたいなもんよ』というので、おそるおそる囓ってみたら、甘さは控えめ、表面がさくさくしている割に、中身はしっとりしていて、ドーナツよりも旨かった(^-^)
この評価、すっかり沖縄好きになってるので、ちょっと身びいきかもしれない(^^;)
で、これまた帰ってから調べてみたら、「サーター」は砂糖「アンダギー」は「アンダ(油)」+「アギー(揚げ)」で「油で揚げたもの」 という意味らしい。
中国伝来の菓子が沖縄風にアレンジされたものらしく、沖縄からの移民が多かったハワイでも 「Andagi」 として知られているという。
14世紀の三山時代の朝貢に始まり、15世紀以降は明の冊封体制に入り、さらに17世紀に江戸幕府(というより薩摩藩)に服属させられるという複雑な歴史を持つ沖縄だが、文明は明から、ひらがなは日本から、というように、いずれも琉球風に換骨奪胎して独特の文化を育て上げてきたおおらかなたくましさが、このお菓子にも現れているように思えた。090623manzamo2
これは私でも知っていた(^^;)キングシーサーが眠っていた「象の鼻」である。
※詳しくはゴジラvsメカゴジラ参照の事(笑)
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てなことで、これを売店で買って持ち歩いていたら、かわいそうに思ったのか(^^;)ここからはカミさんが運転してくれると言うので\(^o^)/
空に高々と掲げ、一人カンパーイ!(。。 )\バキッ☆090623manzamo3
酔うほど飲んで歩いたら危ない(^^;)断崖絶壁だらけ{{{{(+_+)}}}}090623manzamo4
そしてここからも、万座ビーチホテルが・・・(^^;)
これ、ある意味景観破壊やなぁ・・・
このあたりでこのホテルを見まいとすると、ホテルへ泊まるしかないという、昔、パリでエッフェル塔の鉄骨むきむきが嫌いな人が率先して登ったという(笑)エッフェル塔の矛盾、みたいな状態やね・・・
それにしても、白波がたってるところは、午前中にジェットスキーで行ったところではないか{{{{(+_+)}}}}
よぉあんなとこまで行ったもんやと感心する(^^;)知らんという事は恐ろしいもんですな・・・
090623sisa
てなことで、万座毛を後に、後はぶらぶら・・・
ガラス工芸のお店をひやかしに入ったら、見事なシーサー君が出迎えてくれた。
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これは龍神さん?海神さん?なんかよぉわからんけど、神々しさの中に銀の面影を見てしまう(^^;)あいつ、寂しがってないやろか?(^^;)090623koyake
そして午後7時過ぎに例の大平原・・・毛やね(^-^)に戻り、日が落ちるまでまったりした。
残念ながら雲が厚くなり、全天を覆う夕焼け、にはならなかったけど、さすがこちらの日差しは強いらしく、西から突き抜けた光で「東の空」に小焼けがちらり(^-^)
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景観破壊とかなんとか言いつつ・・・やはり暗くなると頼もしいのが明かり(^^;)
さてさて、ぼちぼち宿へ帰りましょ~

2009年7月 3日 (金)

沖縄編 その10 ウドゥイガマ

※6月23日 午後の日記その2

体験ダイビングも無事2本終了、カミさんに「どう?串本の海はもっと透明度高いよ、水族館より遠く向こうが見えるで~」
『へぇ~、そうなん』
「三日通ったら、なんとかなるから、ね、ね、ね」
『三日ねぇ・・・』
と、会話はここで終了(^^;)あまりしつこく薦めるのは逆効果なので、帰ってからぼちぼちあらためて口説く事にしよう(笑)
・・・てなことで、ご近所のみなさん、うちのカミさんに会ったら『聞きましたよ~利香さん、ダイビングの天才ちゃいます~?』とか『串本の海、めちゃめちゃ綺麗らしいですよ~』とか、その気にさせるようフォローよろしく!(^^;)
            ・
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            ・
さて、時刻は午後4時を過ぎているが、空はまだまだ高い、さてこれからどうする?となったわけだが、こちらへ来てから珍しく(^^;)各種ガイドブックやフロントでもらったチラシなどを読み込んでいるカミさんが、『明日の午前中、商工会の主催で、三線の体験学習2時間っていうのがあるけど、予約してもいい?』と聞くので「おお、そりゃもちろん、しかしどこの商工会でも、いろいろやってるんやな~」てなことで、さっそく予約の電話・・・も、カミさんが自分でかけ、時間の調整などをしていた。
「で、今日はこれからどうする?ビーチでゆっくりするか?」
と、付近図を眺めていたカミさんが・・・『あのね、近所にガマがあるみたいよ』
「ええっほんま?どこどこ?」
『村の文化財ってなってるから、聞いてみよか?』
「おぉ、お願い~」
ガマがあるのなら、直接行って黙祷を捧げたいではないか。

(これまた私の勘違いで、沖縄のすべてのガマで自決死が行われたと思い込んでいたのだ)

で、カミさんがまた先ほどの商工会へ電話をしてみたところ、非常にわかりにくいところにあるので、商工会まで来ればそこからは先導してくれるという。
「なんて親切な!やっぱりどこの商工会にも、Mさんみたいな人がおるんやな~」(^-^)
(Mさんとは、高野町商工会の良い意味での何でも屋さん、いつもお疲れ様ですm(_ _)m)
幸い、恩納村商工会自体はわかりやすい場所にあるので、レンタカーで行く事にしたのだが、フロントで「これから、ウドゥイガマまで行くんですが、どのくらいかかります?」と聞いてみたところ、なんと、フロントにいた人全員が『ウドゥイガマ・・・ですか?ええと・・・』と、一所懸命調べてはくれたのだが、その存在すら知らないようだった。
あの・・・ここのフロントでくれたチラシに載ってるんですが・・・(^^;)
つまりこのホテル、少なくともフロントには地元の人がいないということか・・・
なんだかちょっと残念な気持ちで、商工会へ向かったところ、いかにも沖縄の人って感じの浅黒いソース顔のお兄さんが待っていてくれた。
「わざわざすみません、ご親切、ありがとうございます」
『いえいえ、ではこれから後を付いてきて下さい、でも・・・珍しいですね』と、その方も、ウドゥイガマに観光客が興味を示した事が、ほんとに不思議そうだった。
・・・なんでやのん?今日やったら、慰霊祭くらい開催されててもおかしいないんちゃうの?
と私は不思議に思った。
すると、その表情を察したのか、商工会の方は、『昔は踊りとか集会の場だったんですが、最近は使われていないんです、ここらでは集団自決死とかも行われなかったと聞いてますし』と教えてくれたのである。
なるほど、ガマといえば、すべて悲惨な場所と、勝手にこちらが思い込んでいただけだったのだ。
そして・・・
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たしかに、先導してもらわなければ決してたどりつけそうにない、ナビにも載ってない道を通り、♪ざわわ、ざわわ・・・♪と歌が聞こえてきそうな、というか、カミさんが実際横で歌っているのだが(^^;)絵に描いたようなサトウキビ畑を抜けたところにそれはあった。
途中で車止めがあり、商工会の方はここから100mほど歩いたところにありますから、と教えてくれて去っていった。
ありがとうございますm(_ _)m
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以下、帰ってから調べた事であるが・・・
そもそもガマとは、沖縄に約2000ほど点在する洞窟の総称で、琉球性石灰岩が雨水や地下水の浸食を受けてできた、自然の鍾乳洞の事である。
洞窟だけに、夏は涼しく、冬は暖かいので、住民達の踊りや歌の練習場として公民館的な使われ方をしていたらしく、数日にわたって寝食を共にする事もあったとか・・・
それが、第二次世界大戦の末期に起こった沖縄戦において、住民や日本兵の避難場所として、また野戦病院として利用された事から数々の惨劇や虐殺が起こった。
ガマに集まったがゆえに、多くの人が殺された代表がチビチリガマで、ガマのおかげで多くの人が助かった代表がシムクガマとも言われている。
いやしかし、ガマ自体には人が集まれる場所という機能しかないはずで、生死を分けたのは結局、その場にいた人々の「精神状態」なのだろう。さらに言えば、その「精神状態」は「欠陥のある当時の日本軍」によって作り出されたものである事は間違いない。
大江健三郎は大嫌いだが・・・
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現在のウドゥイガマには「たきび、バーベキューをしないで下さい no fire works 文化財を大切にしましょう」という札がかかっているだけで、人影は無く、長らく放置されている感じだった。
商工会の方から、集団自決死は無かったと聞いたが、ここにもきっと、ひぬかん(火の神)さんはいらっしゃるはずで、沖縄中のガマとも繋がってるはずだと思い、黙祷を捧げた。
カミさんは・・・洞窟の中で歌っていた。
かつて、このガマにもたくさんの歌声がこだまし、たくさんの笑顔があふれた事だろう。
もう一度黙祷し、洞窟を抜けた。
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振り返ると、ウドゥイガマは、青い空と緑の・・・クサトベラ(これも帰ってから調べた(^^;))に囲まれてひっそりと佇んでいた。
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クサトベラの花は人の手に似ているという。
そういえば、眩しい日差しの下、それはいっぱいに広がり、こちらに向かって挨拶してくれているようだった。
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ウドゥイガマを出ると、眼前は海である。
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浸食されてできた穴から、海が見える。かつてはきっと、ここで語り合う人も多かったと思う。
さびしいような、なつかしいような、そして、カミさんと二人でここに来られてうれしいような気がした。
『見て見て~』とカミさんが呼ぶ、
090623gama7yadokari
ヤドカリがたくさんいた(^-^)
人はいなくなったが、植物や動物はここで生き続けているのだ。
人もまた、やがて帰ってくるかもしれない、そんな気もした。

今、生かされている事に感謝しつつ、ウドゥイガマを後にした。

2009年7月 2日 (木)

沖縄編 その9 体験ダイビング 2本目~

※6月23日 午後の日記その1
午後2時から、本日2回目の体験ダイビング。
インストは同じお兄さんなのと、大潮の干潮時なので水位が低いため、カミさんのレベルと様子をみながら、少し沖まで案内してくれる事になった。
おお、それは透明度にも期待できる~と喜んだものの、今日が6月の23日であるという事も強く浮かんできた。
64年前、この海で多くの人が殺されたのだ、そんな海で、そんな日に、遊んでていいのだろうか・・・
そして、昔、N君に聞いた話も思い出してしまった・・・
N君は大学のダイビング部の主将も務めたというベテランダイバーであり、在学中に沖縄の海に慰霊の碑を沈めるバイトあmでした事があるそうなのだが、その時、海の中に無数の「人の手」が並んでいるのを見た。という話だ。
N君は今や私以上のベロベ浪漫で知られた男だが(^^;)こういう事で冗談や嘘を言う男ではないし、当時は現役ダイバーとして、スキルのピークにあったわけで、万が一にも潜水中に幻影を見るような状態になるはずがないのだ。
ちなみに彼はその後、縁あってか沖縄出身の奥さんと結ばれる事になる。
・・・沖合に出て、「人の手」が見えたらどうしよう・・・
マジでちょっと心配した事を告白しておく、
しかし、「いや、俺は普段は軽佻浮薄やけど、沖縄に対して不埒な気持ちは持ち合わせてない、ほんでもって、梅雨明けもしてないというのに、昨日今日のこの青空はどうや、これはきっと沖縄が俺ら夫婦を歓迎してくれてる証拠やで、うん、今の沖縄では、観光客として楽しむ事こそが、きっと供養にもなるはずや、・・・もし、人の手が見えたとしたら・・・その時はひたすら拝むだけやんか~」と自分を納得させたのである。
はなはだ身勝手かもしれないが、そういう気持ちになった事はやはり書いておきたい。
さて・・・
なんだかんだ逡巡しつつも、海中に入ってしまえば、もう夢中(。。 )\バキッ☆
午前中にも通ったポイントで、カミさんもけっこう余裕しゃくしゃくという感じだったので、イソギンチャクの合間を泳ぐクマノミと一緒に動画を撮ってみた。
イソギンチャクの揺れで海中の流れがけっこう強いのもわかると思う。

万座のクマノミ」のビデオ
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そして・・・
珍しい、ミノカサゴの赤ちゃんに出会った。090623minokasagobaby1
成体は串本の海でもしばしば目にする事があったし、昨日も美ら海水族館で蝶々のように舞う様を見たばかりだ。
しかし、赤ちゃんとなると初めてだった。横に移ってるインストのお兄さんの手と比べてもらえば、いかに小さいかよくわかると思う。
090623minokasagobaby2
物事にすぐ「こじつけ」た理由を当てはめ、自分を納得させるのが私の癖だ。
なかなか素直になれず、理屈っぽいと言われる所以で、直したい性格でもあるのだが、この癖がなくなったら、自分でなくなるような気もするし(^^;)時々は素直になるからこれでいいのだ(^^;)
昨日、今帰仁城でも風にそよぐ若草に命を感じた。今日も、殺された人々に思いをはせながら潜ったら、めったに出会えない幼い命に出会えた事は、ものすごく慰められる出来事だった。
「遊ばせてもらって、ありがとうございますm(_ _)m」
もちろん、海中だから、ぶくぶくぶくぶく・・・なのだが、レギュをくわえたまま、思わずつぶやいた私だった。
しかし、何しろ干潮の影響で水中でも潮の流れが速く、なかなか安定できない、
どこかにつかまって・・・とも思ったのだが、珊瑚や海底の保護のため、あくまでどこにも接地しないポリシーを貫くべく、必死こいてもがきながら(^^;)撮った画像が↑の2枚と、↓の動画である。

ミノカサゴの赤ちゃん

それから約40分、インストのお兄さんの的確な指示と、初心者とは思えないカミさんのおかげで、私自身は十二分に海中での無重力状態を楽しむ事ができた、なにしろ、カミさんの動向にあまり気を遣わなくていいので、でんぐり返しとか、エンジェルリングとか、ひさしぶりにリラックスして遊ばせてもらえたのだった(^-^)

ハイライトはこのロクセンスズメダイへの餌やり

カミさんは、野生?の魚が人間に寄ってきて、なおかつ手から直接、餌を食べる、という事に驚愕したらしい。というか、身振り手振りでインストのお兄さんに、『何かぐにゃぐにゃしたモノ』を持たされたとたん、魚に襲われ(^^;)おまけに、指で指示された方向を見ると私がカメラを構えているという具合で、『何をしてるんかよくわからなかった』そうだ(笑)
この魚の餌付け、についても、奈良公園の鹿同様、賛否両論があるのは承知しているが、やはり相手が魚だと「人間の持つ原罪・・・」的な罪悪感が少ないのは助かる(^^;)
これはもう、楽しませてもらってありがとう、とつぶやきながら、貴重な体験に感謝を捧げるのみなのであったm(_ _)m

2009年7月 1日 (水)

沖縄編 その8 恐怖のジェットスキー(^^;)

※6月23日 午前の日記 その2

午前中の体験ダイビングが終わったのが午前10時半頃、とりあえず部屋へ戻って、腕時計型ダイブコンピュータ(略してダイコン)と、カメラを水中パックごと真水で洗う。
090623camera
このダイコンを使うのはほんとに久しぶりだ(^^;)よく電池が保ってるものだと感心する(笑)
カメラの水中パックは、実はG7購入時に『絶対潜りに行くぞ~』と心に決め(^^;)同時購入したものだから、なんと2年半を経ての初登場(笑)
よく仕舞ってた場所を忘れなかったものだ(^^;)
てなことで、以前ビデオカメラで経験した「沈(ちん)」によるデータ喪失に備え、SDカードだけは交換してビーチへ向かう。
「さぁ、2時まで、何すて遊ぶぅ~」(笑)
090623b
プライベートビーチから見たホテル、矢印が、私たちが泊まってる565号室。090623b1
プライベートビーチの端は船着き場になっていて、マリン関係の施設もたくさんあった。
「どうする?何か乗るか?」
『あ、あれに乗ってみたい』とカミさんが指さしたのは・・・
なんと水上オートバイ(カワサキ製だったからジェットスキーと呼ぶべきか)だったw(゜o゜)w
「ほんまに乗るん?」と私は確認した。
『おもしろそうやん』と、いたって気楽そうにカミさんが宣う。
これは・・・乗らねばなるまい、しかし・・・
実は今日は大潮で、外洋は風が強く、波が高いと聞いていた。できれば外洋へ出たいと思っていたのだが、ボート系はすべて×だったのだ。
で、インフォメーションで聞いてみると、なんと、ジェットスキーだけは外洋に出られるという。
「めっちゃ揺れますよね・・・?」
『かなり・・・揺れると思います』とインフォメーションの人。
『でも、ライセンスをお持ちなら、二人乗りにインスト(ラクター)付で乗っていただいて、外洋に出たら、10分間ですが、操縦を代わってご自分で運転していただく事もできますよ』
ううっ!魅力的なプラン~(^^;)

てなことで、これまた久しぶりにジェットスキーに乗る事になった。
カミさんも、外洋での揺れ具合が実感できないようで、嬉々として、またウェットスーツに着替えだした(笑)
てなことで・・・

発進してすぐに・・・恐れ入りました~m(_ _)m
海技免許を見せたら割引があるというので、登録だけは古い(^^;)のを見せたのが災い(ToT)インストのお兄さんはこちらがてっきり「いつもジェットスキーに乗ってる人」と確信した暴走ぶり(笑)
↑の動画は、インストのお兄さんが操縦してる後ろだからこそ撮れただけ(^^;)で、それもこの後、外洋が近づくに連れ、うねりが増し、ジャンプしまくりになったので、片手にカメラではとても持ちこたえられず、この後は動画なし!(笑)090623b2
↑外洋のうねり、をご存じの方なら想像していただけると思うのだが・・・
停止しているだけで、次から次へと寄せてくる波で感覚的には数mくらい上下する感じ・・・{{{{(+_+)}}}}
で・・・実はこの画像、外洋に出て、すでに青いのを通り越して、不気味に青黒~くうねり続ける海上で『さ、どうぞ~』と、インストのお兄さんが器用に前後を入れ替わってくれ、私がハンドルポジションになった直後、「ここからの画像、撮りたかったんですよ~」と撮影しながら、一所懸命、ジェットスキーの操作方法を思い出す時間稼ぎをしているところでもある(。。 )\バキッ☆
ちなみに、「あのぉ、家内の画像も撮りたいんですが、見あたりませんね?」と聞くと、『奥さん号は、すぐに外洋から引き返したみたいですよ』との事(笑)
おそらくモーターボートの小型版みたいに軽く考えていたのが、激しい挙動と、顔が痛いほどしぶきがかかるのにビビったのであろう(笑)
って、笑ってる場合ではない、ここで穏やかな操縦をしようものなら、わざわざここまで連れてきてくれたお兄さんに悪いではないか(^^;)

てなことで・・・その後はもうやぶれかぶれ(笑)
急ハンドルによる落水だけはしなかったが、ジャンプして着水するごとに、後ろでインストのお兄さんが『あひょっ』とか『ごげっ』とか言ってたところを見ると、よほどトリッキー(と言えば聞こえはいいが、要するに無茶苦茶(笑))な操縦だったに違いない(。。 )\バキッ☆
兄ちゃん、えらいすまんのぉ~m(_ _)m090623b3
↑湾内に入ると、海の色が変わり、波も穏やかになるから、けっこう飛ばせる(笑)
あっという間の10分間だったが、単車とはまた違う(単車の場合はオフロードでも道路がいきなり上下動はしない(笑)あ、雪道にちょっと似てるかな?(^-^))楽しみを味わえた。
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船着き場に戻ってみると、カミさん号はまだ戻っていなかった。どうやらうねりのない湾内クルーズを楽しませてもらってたようだ(^-^)
後で聞いたら、沖へ出たとたん『もういいです、帰りますぅっ』(笑)
でもそれだと時間がもったいないからと、あちこち回ってくれたのだそうだ。
カミさんに「どうやった?」と聞いてみたら、『怖いの怖いないのってもう大変やった~』と言いつつ、けっこうおもしろかったようだ。
カミさんの状態に合わせて楽しませてくれた、インストのお姉さんにも感謝m(_ _)m
090623l1
てなことで、お互い、少々興奮気味であったが、午後のダイビングに備え、少し早めに食べておく事にした。
ここもホテル付属のレストランである。
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とりあえずビール!といきたいところだが、ダイビング前なので、海洋深層水でガマン(笑)
私、ダイビングに関しては取り組む態度が真面目なのである。090623l3
海辺のお昼っちゅーと、やっぱりカレーでしょ~(^-^)
でっかいラッキョも旨かった(笑)

てなことで、体験ダイビングその2へGO~!

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