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2010年8月14日 (土)

熊野へ

午前7時半発、
熊野へ、
世界遺産マスターの会議に出席するためだが、気分はツーリングだ(^-^)
100814gskumano
同じ山国とはいえ、たぶん玉置山?だと思うのだが、このあたりまで来ると山の形が丸くおおらかに感じる。
それはそのまま、熊野の気風を現しているようにも思えるのだ。

和泉式部が熊野詣をした時、ちょうど生理になり、血穢を恐れて本宮に参拝ができないと諦め、遠く大斎原を伏し拝んで、

晴れやらぬ 身のうき雲のたなびきて 月のさわりとなるぞかなしき

と詠んだ場所が現在の伏拝王子である。

ところがその夜、和泉式部の夢枕に熊野権現が現われて、

  もろともに 塵にまじはる神なれば 月のさわりもなにかくるしき

と返歌してくれ、和泉式部は喜んでそのまま参詣できたという。

このあたりが、明神様ではなく、権現様の融通の効くところ・・・といってはどちらにも失礼か(^^;)

しかし、この伝承こそが熊野権現の性格を象徴しているとも言えよう。

もちろん、丹生都比売さんがキツ~い明神様だと言っているわけではない(^^;)

熊野へ来る時はたいてい単車でご機嫌だし、何かしら心弾むイベントが待っているような気がして、山の姿もおおらかに映るのかもしれない。

もちろん、高野へ帰ると気が重い、という事ではない(^^;)

なお、高野山は盆地なので山と言っても間近にあり、山内から全景を眺める事はできない。
少し山の中に入り、他の山々を眺めるとこんな感じ、
100814koya
(帰路に撮ったもの)
連なった山脈が果てしなく続く光景は、やはり熊野とは異質のものだ。

この異なる風土と気質の二つの「野」がさらに峻厳な山脈の果てにあるもう一つの「野」、
すなわち「吉野」と繋がっている。

そして、神道、仏教、そして修験道と、それぞれその土地独特の信仰を育んできたわけである。

ちなみに、この三つの宗教は、内部的な小競り合いや境界争いはあったものの(^^;)
千二百年以上、おおむね平和に共存してきている。

これは世界に、特にキリスト教世界とイスラム教世界に向かって、発信すべき情報の一つだと思う。

あれ?
『恵峯さんは最近、単車に乗ってない』という噂を打ち消すために書き出したのに(^^;)
いつのまにか、世界遺産関係の話になってしまった(笑)

真面目やなぁ俺(笑)

ちゃんちゃん

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