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2013年2月

2013年2月28日 (木)

疑問

資産運用に疑念あり、ならば、それこそ宗会の日程をフルに使って審議し、質疑を尽くすべきところ、問答無用で、不信任動議とはこれいかに?

・・・って、これも書くのにずいぶん勇気がいりました・・・

2013年2月27日 (水)

怖い

アサヒは怖い。

JC時代に、1市4町1村の全体合併を目指して、各首長の懇談会を企画した時に受けた甚大な報道被害には、いまだに苦しめられている。
JCとして抗議もしたが、のらりくらりとかわされたあげく、『当該記事を書いた記者は異動になった』と告げに来た記者が、実は当の本人だったと後で知った時には、「新聞記者」に抱いていた公平性や客観性が、幻想であったということを思い知らされたものだった。

だからこそ、怖い、
こちらはただの一私人、向こうは天下の公器を自負する大アサヒ。
どんな目に遭わされるか想像するだに怖いのだ。

だからこそ、わざとカタカナ表記にして、検索されにくくしているのだが、二年前に、ブログで「看板に偽りあり」として書いた中に、「嘘とは言いきれない範囲で人を騙すというアサヒの体質丸出しやんか~!」と書いたところ、すぐに妙な問答に巻き込まれたこともあった。

サイバー要員?がネットを見張っているという噂も、妄想とは言えないと私は思っている。

で、26日の、非公開であるはずの会議の内容が、翌日には、アサヒだけ、しかも全国版で、デカデカと出た時には、これは「報道」ではなく、はっきりとした意図を伴った「攻撃」であることを思い知らされた。

なぜかというと、資産運用(これも、信者の寄付を博打に投資したような印象記事になっている)の実績を「報道」するのに、
運用利益(約16億円)もトータルの運用損益(約9億円)も載せず、運用損失(約7億円)のみを載せて、『巨額損失』『運用に失敗』『お布施など』と刺激的な文言だけで、記事が構成されていたからだ。

どこの宗教法人でも、当然のことながら様々な事業を展開し、社会に還元もしている。
それは学校経営であったり、資金運用であったりと様々だが、「プラス」も「トータル」も無視して、「マイナス」だけを取り上げ、『運用に失敗』と断じるなど、それこそ言語道断ではないか。

今回も、ひらたく言えば、プラスが約16億、マイナスが約7億だから、トータルで約9億円の利益が出ているのにもかかわらず、なのである。

誰かが意図的に載せさせたものなのか?
アサヒさえ操れる力があるのか?
それともアサヒは、騙されて載せてしまったのか?
はたまた不正確な記事とわかっていても、「宗教」を攻撃できるのなら載せるのか?

つくづく怖い・・・

2013年2月26日 (火)

感謝しています

今日はもうこれに尽きる。

もし今、自分が「退職」することになったとしても、こんなことは到底起こらないと思う。

そしてさらに、この話を知るまでは、そんなことは起こらなくて当たり前、というか、想像だにしていなかった。

今はただただ、この話を知り得たことに、感謝していますm(_ _)m

facebookより

「人であふれた駐車場」

100mほど離れたところに駐車場があり、そこにいつも車を停めていました。
その駐車場には、いつでも元気で明るい、60歳を過ぎたばかりの管理人のおじさんが働いていました。
年齢に似合わずシャキシャキとした行動で、手際よく仕事をこなします。
毎日のように顔を合わせていましたが、いつもおじさんは明るい笑顔で挨拶をしてくれました。
「おはようございます!今日も天気で、いい一日ですね!」
以前は大手企業で働いていたそうです。
その会社を定年になって退社し、家が近くにあるというだけの理由で、駐車場の管理人の仕事を始めたということでした。
ある朝、急に雨が降ってきました。
その時、傘を忘れたことに気がつきました。
駐車場について、車から出ることもできずに、どうしたものかと考えていたところに、管理人のおじさんが走りよってきました。
「傘、忘れたんじゃない?
ちょうど、今降り出したばかりだから。
これ、持っていきなよ」
といって、自分の持っている傘を差しだしてくれたのです。
「でも、これっておじさんの傘じゃないの?」
「私のことを気にすることはありませんよ。
とにかく持っていってください」
自分の傘をお客さんに渡して、自分は濡れて帰ってもいい。
普通はなかなかそんな風に考えることはできないと思います。
管理人のおじさんは、いつもこんな調子で自分のことよりも、お客さんのことばかり考えてくれるような人でした。
その駐車場はいつも満車の状態でした。
他の管理人さんは、満車になると小さな管理人室で本を読んだりしていましたが、そのおじさんは、駐車場の前に立って、申し訳なさそうに、
「満車です、申し訳ありません」
と深々と頭を下げて謝っているのです。
中には、苦言を呈する人もいます。
でも、必ずその車が見えなくなるまで、深々と頭を下げ続けていました。
「何も、あそこまでしなくてもいいのに・・・」と思っていました。
そんなある日、いつものように車を停めようとしたとき、いつもの違う表情でおじさんはやってきました。
「実は、今週いっぱいで仕事をやめることにしました。
妻が、肺を患っていて、空気のきれいなところでのんびり暮らすことにしたんですよ。
いろいろお世話になりました・・・」
お世話になったのはこっちのほうですよ、と何ともいえぬ寂しさを覚えました。
今日が最後という日、ちょっとした感謝の気持ちで、おじさんにてみやげを持っていくことにしました。
そして、駐車場に着いたとき、信じられないような光景を目にしたのです。

小さなプレハブの管理人室には、
色とりどりの花束がいっぱいに積上げられていて、
中がまったく見えません。
さらに、管理人室の横には、置ききれなくなったプレゼントがたくさん積み重ねられています。
それは2列にもなって。

駐車場は、たくさんの人でごった返し、感謝の声が聴こえてきます。

「いつも傘を貸してくれてありがとう」

「あのとき、重い荷物を運んでくれて助かりました」

「おじさんに、挨拶の大切さを教えていただきました」

次々と写真を撮り、握手をして、感謝の言葉を告げています。
最後の列にならんでおじさんと話す機会を持ちました。
「おじさんには感謝しています。
おかげで、毎日気持ちよく仕事を始めることが出来ました。
いなくなってしまうなんて残念です・・・」

「いいえ、私は何もしていませんよ。
私にできることは、挨拶することと謝ることくらいですから。
でも、
いつも自分がやっている仕事を楽しみたい、
そう思っているだけなんです」
仕事が面白いかどうかを、その仕事の内容に期待すると裏切られてしまうでしょう。
面白い仕事もつまらない仕事もないからです。
つまらない仕事なんてない。
仕事に関わる人の姿勢が仕事を面白くしたり、つまらなくしてるに過ぎない。
仕事の最後の日、自分がこれまで
どのように仕事に関わってきたかを、まわりの人が教えてくれます。
その時に得られる最高のもの、

それは人と人とのつながりの中でうまれる感動です。
(福島 正伸)
「人であふれた駐車場」

100mほど離れたところに駐車場があり、そこにいつも車を停めていました。
その駐車場には、いつでも元気で明るい、60歳を過ぎたばかりの管理人のおじさんが働いていました。
年齢に似合わずシャキシャキとした行動で、手際よく仕事をこなします。
毎日のように顔を合わせていましたが、いつもおじさんは明るい笑顔で挨拶をしてくれました。
「おはようございます!今日も天気で、いい一日ですね!」
以前は大手企業で働いていたそうです。
その会社を定年になって退社し、家が近くにあるというだけの理由で、駐車場の管理人の仕事を始めたということでした。
ある朝、急に雨が降ってきました。
その時、傘を忘れたことに気がつきました。
駐車場について、車から出ることもできずに、どうしたものかと考えていたところに、管理人のおじさんが走りよってきました。
「傘、忘れたんじゃない?
ちょうど、今降り出したばかりだから。
これ、持っていきなよ」
といって、自分の持っている傘を差しだしてくれたのです。
「でも、これっておじさんの傘じゃないの?」
「私のことを気にすることはありませんよ。
とにかく持っていってください」
自分の傘をお客さんに渡して、自分は濡れて帰ってもいい。
普通はなかなかそんな風に考えることはできないと思います。
管理人のおじさんは、いつもこんな調子で自分のことよりも、お客さんのことばかり考えてくれるような人でした。
その駐車場はいつも満車の状態でした。
他の管理人さんは、満車になると小さな管理人室で本を読んだりしていましたが、そのおじさんは、駐車場の前に立って、申し訳なさそうに、
「満車です、申し訳ありません」
と深々と頭を下げて謝っているのです。
中には、苦言を呈する人もいます。
でも、必ずその車が見えなくなるまで、深々と頭を下げ続けていました。
「何も、あそこまでしなくてもいいのに・・・」と思っていました
そんなある日、いつものように車を停めようとしたとき、いつもの違う表情でおじさんはやってきました。
「実は、今週いっぱいで仕事をやめることにしました。
妻が、肺を患っていて、空気のきれいなところでのんびり暮らすことにしたんですよ。
いろいろお世話になりました・・・」
お世話になったのはこっちのほうですよ、と何ともいえぬ寂しさを覚えました。
今日が最後という日、ちょっとした感謝の気持ちで、おじさんにてみやげを持っていくことにしました。
そして、駐車場に着いたとき、信じられないような光景を目にしたのです。

小さなプレハブの管理人室には、
色とりどりの花束がいっぱいに積上げられていて、
中がまったく見えません。
さらに、管理人室の横には、置ききれなくなったプレゼントがたくさん積み重ねられています。
それは2列にもなって。

駐車場は、たくさんの人でごった返し、感謝の声が聴こえてきます

「いつも傘を貸してくれてありがとう」

「あのとき、重い荷物を運んでくれて助かりました」

「おじさんに、挨拶の大切さを教えていただきました」

次々と写真を撮り、握手をして、感謝の言葉を告げています。
最後の列にならんでおじさんと話す機会を持ちました。
「おじさんには感謝しています。
おかげで、毎日気持ちよく仕事を始めることが出来ました。
いなくなってしまうなんて残念です・・・」

「いいえ、私は何もしていませんよ。
私にできることは、挨拶することと謝ることくらいですから。
でも、
いつも自分がやっている仕事を楽しみたい、
そう思っているだけなんです」
仕事が面白いかどうかを、その仕事の内容に期待すると裏切られてしまうでしょう。
面白い仕事もつまらない仕事もないからです。
つまらない仕事なんてない。
仕事に関わる人の姿勢が仕事を面白くしたり、つまらなくしてるに過ぎない。
仕事の最後の日、自分がこれまで
どのように仕事に関わってきたかを、まわりの人が教えてくれます
その時に得られる最高のもの、

それは人と人とのつながりの中でうまれる感動です。
(福島 正伸)

2013年2月25日 (月)

またしてもヽ(`Д´)ノ

またしても ヽ(`Д´)ノ である。

修復された後で見学した記事を、以前に載せたのだが、再び牛馬童子像の首が破壊されたという。

記事中『人為的に壊されたものか、何らかの原因で自然に割れたものか現時点では判断しにくい』とのコメントが紹介されているが、画像で見る限り、とても「自然に割れたもの」とは思えない。
今のところ、故意に割ったような痕跡が見当たらない』のは、おそらく、ゴムハンマーのようなもので横から殴りつけ、首のあたりで折ろうとしたのではないかと想像できる。
ところが、ゴムハンマー?などで殴った場所で水平に折れてしまったので、そのまま放置したのではないだろうか?

不届きで罰当たりで愚かな行為だヽ(`Д´)ノ

これも以前に書いたことだが、

千年前の出来事を、二百年前の人が顕彰し、百年前の人々はそれを偲んだというのに、現代人がそれを壊してしまうとは情けない限りである。

おそらく、犯人、もしくは犯人達に、大方の常識ある人々の非難の咒が降りかかるだろうが、反省と更正の道を進めるよう願うしかない。

AGARA 紀伊民報 2013年2月25日更新 から転載m(_ _)m


「牛馬童子像」の首に亀裂 頭部と胴体が分離 熊野古道

 和歌山県田辺市中辺路町近露の世界遺産熊野古道箸折峠にある石像「牛馬童子像」(同市指定文化財)の首付近に亀裂が入り、頭部と胴体が分離した状態になっていることが分かった。2008年6月にも何者かに切断され、市はその年の10月に頭部を復元し取り付けていた。25日午前、田辺市教育委員会が現場を確認した。

 像は国道311号沿いの道の駅「熊野古道中辺路」から熊野古道を本宮町方面に約800メートル進んだところにある。高さ約60センチで1891年ごろに造られたとされる。

 現状、頭部は胴体の上に乗っているが、首付近の周囲に亀裂が入り、胴体部分とは完全に切り離された状態になっている。顔は頬や口の部分に亀裂が走っている。以前修復した箇所はそれより下の部分にある。

 25日朝、現場を確認した市教委文化振興課の職員は「前回切断された時には首の両側に切り込みの跡があり、首の後ろから叩いたような状態だったが、今回は今のところ、故意に割ったような痕跡が見当たらない。人為的に壊されたものか、何らかの原因で自然に割れたものか現時点では判断しにくい」と話した。

 中辺路町に事務局を置く語り部団体「漂探古道」副理事長の安江樹郎さん(69)も25日午前に現場を確認。「人為的なものかどうかは関係当局の調査を待ちたいが、とにかく驚いている。牛馬童子像を楽しむ来訪者と常日頃接しており、再びこのような出来事が起こるのは、案内する立場として非常につらい」と話した。

 田辺市の真砂充敏市長は「残念としか言いようがない。詳しい報告を受けて今後の対応策を検討していく」と話した。市長は前回の修復時に「この事件を契機に大切に保護されるよう協力をお願いしたい」と再発防止を訴えていた。

 前回の被害は、08年6月18日に何者かに頭部が切断されてなくなっているのが見つかり、関係者らが付近を探したが見つからなかった。そのため、市が和歌山市の県立博物館にある複製品の型枠から頭部を復元し、金具や接着剤で胴体に固定、修復した。その後、元の頭部は10年8月に同市鮎川のバス待合所で見つかり、市教委が保管している。田辺署は当時、器物損壊、文化財保護法違反で捜査した。

 牛馬童子像は熊野古道中辺路のシンボルで、箸折峠にある。作者不明。牛馬2頭にまたがった童子「花山法皇」の旅姿を再現したものとされ、そのおだやかな表情は人々に親しまれ、市内の各所にモニュメントが置かれたり、観光ポスターやガイドブックにもよく登場する。

【亀裂が入り、頭部が胴体と分離した牛馬童子像を調べる田辺市教委文化振興課の職員(25日、和歌山県田辺市中辺路町近露で)】 

(2013年02月25日更新)

2013年2月24日 (日)

平成25年度 高野山学募集開始

募集要項が到着したのでご紹介。

130224sangaku1

130224sangaku2

募集要項のPDFは→ 「130224_koyasangaku2013.pdf」をダウンロード

↓日程拡大
130224_sangaku3



2013年2月23日 (土)

小ネタで復活(^^;)

またしても、ブーツのファスナーを引きちぎってしまった・・・(^^;)
130223boots
てなことで、手持ちのキーホルダーのナスカン?で応急修理、
こいつも少々頼りないので、何か他のものを物色しよう。

で、引きちぎったのは確か去年・・・と思って検索してみたら、ありましたありました~

'12年1月に、ウエアとブーツのファスナーを連続して引きちぎっていた(^^;)

あれ?では、その時修理したブーツはどこいったん?
つーか、このブーツいつから使ってたんやっけ?

で、また検索してみたら・・・
なるほど、3月に役目を終えていたのだった。

そっかそっか、それで、新たにkamikのファスナー付を新調しておいたのだった。
だから今シーズンは最初からこれがあったので、昨年も使っていたような気になっていたが、実は春先に買っておいたものだったのだ。

れれれ?

では、このブーツ、ワンシーズンつーか、わずか3ヶ月足らずでファスナーが壊れたってこと?
kamikらしくないねぇ・・・
って、私が馬鹿力ってことか?(^^;)

で、最初に買ったkamikはと言えば・・・

これまた検索してわかったのだが、'06年の11月というから、すでに6年経過しているのに、まだまだ現役。
やっぱり紐仕様の方が強いんやね~

・・・って、単に使用頻度の違いか?

紐のKamik、雪山単車用か、積雪15㎝の夜の銀ぶら用にしかつかってないもんね~

とまぁ、小ネタでブログ復活?

続くかな?(^^;)

ちゃんちゃん

2013年2月14日 (木)

常楽会

最近、過去のブログの再掲載が目立つが(^^;)決して手抜きでは・・・(。。 )\バキッ☆

いやしかし、バレンタインはほっといても世間に認知されてるけど、同じく2月の14日の常楽会(じょうらくえ)の認知度は今一つ・・・

だからして、今年も再掲なのだ~

※2月15日に書いたものなので、一部改変してますm(_ _)m

***再掲載ここから***

昨日はバテレン由来のイベント日だが、むしろ「常楽会」の事をもっと広めるべきではないか~
てなことで、高野山では、本日から明日の午後まで、お釈迦様を偲んで法会が行われる。
以下に自戒を込め、以前に書いたものを再掲。決して手抜きでは・・・(^^;)

常楽会(じょうらくえ)、涅槃会(ねはんえ)とも言う、お釈迦さんがクシナガラの沙羅双樹の木の下で入滅された日だ。

「常楽」は解脱され、涅槃(すべての迷いが吹き消された状態:あらゆる煩悩から解放された究極の悟りの世界)に至ったお釈迦さんの四つの徳性である「常・楽・我・浄」から、その前の二字「常楽」をとったもので、「常」は永遠に変わらぬ事、「楽」とは苦しみがなく安らかな事、「我」とは何ものにもとらわれず自由である事、「浄」とは一切の汚(よごれ)から離れた状態の事を指す。

現在は、死=涅槃、という解釈だが、ちょっとというかかなり違う。

ただし、お釈迦さん自身は弟子に対し、死後の世界の事は生涯一言も語る事は無かった。そんな事は死ねばわかる事で、それよりもこの世において「諸行無常」を見つめ、今、どうやって生きるかを考えなさい。というわけだ。
この、諸行無常についても、「この世は虚しいだけ」という消極的な意味ではなく、生きているものは必ず死ぬし、形あるものは必ず滅びるように、この世に存在するもので永遠に続くものは何一つないのだが、それは決して悲しむべき事ではなく「存在するものはすべて必ず変化する」という自然の摂理であり、それを積極的に受け入れ、その中で活き活きと暮らす道を見つけなさい。という事である。
よく「あきらめる」というが、あれは、「諦める」ではなく、「明らかに認める」という事なのだ。

つまり仏教とは、死後の世界を解説するものではなく、この世において「抜苦与楽(生きている人の苦を無くし楽を与える)を目指したものであり、「この世を生きるための智慧」だったのだ。

ところが、日本に於いては、もともとあった先祖崇拝や古神道の考え方と混ざり合った上、江戸時代に徳川幕府が人々を統制するために「宗門改め」を行い、必ずどこかの寺に帰属するよう「檀家制度」を強制した事から、仏教者は努力しなくても信者を獲得できるようになり、象徴的な儀式として「葬式」をメインに活動する事になってしまった。
これが現在、「葬式仏教」と揶揄される原因である。
真言宗もまた、「現世利益」が拡大解釈され、肝心な「真言」も「○○がうまくいくためのまじないの言葉」という、非常に刹那的な扱いを受ける事となり、その分、うさんくさいイメージを持たれる事になってしまった。

ともあれ、私は死を目前にしたお釈迦さんの言葉が好きだ。
最後の言葉はやはり『世はなべて無常である。そなた達は怠ることなく努力をするように』と、弟子達への薫陶なのだが、その前に、
『この世は美しい、人間の命とは何と甘美なものだろう』とも語っている。

人生は苦だ、それは認識としてだけ正しい、そして人はそれを避ける事ができない、だが、それを乗り越えて行く事もできるはずだ。
もちろん、乗り越えられない、と明らかに認めるのも一つの道だ。

ほっといたって「死」は誰にでも訪れる、それまではせいぜいあがこうじゃないか。

人生は生きるに値する。

***再掲載ここまで***

うん、人生は生きるに値する。
つーか、生かせてもらってるんですよねm(_ _)m

感謝!

2013年2月13日 (水)

飛檐垂木取り付け始め

本日のエンタープライズ・・・じゃなくて中門の状況。
130313c1
地垂木(地垂木)の上に足駄欠(あしだがき)した木負(きおい)の取り付けが完了。
いよいよ、1月の22日に紹介した飛檐垂木(ひえんだるき)の取り付け開始だ。
130313hien
配付け(はいつけ)を含めて344本の、これが1本目。

心して!m(_ _)m

2013年2月11日 (月)

「建国記念”の”日」に

本日は「建国記念”の”日」

思う事と備忘録として、過去のブログからの抜粋も交えて記録。

2011年2月11日のブログ より

***抜粋ここから***

wikipedeaによると、敗戦後にすったもんだがあり、建国記念「日」と断定するには、科学的な根拠が薄弱だからという理由で「の」を挿入し、“建国されたという事象そのものを記念する日”として1966年に制定されたそうだ。

※建国記念の日、についてのウンチ君は2009年2月11日のブログに書いた。

ふ~ん・・・

で、自分の中に、「建国を祝う気持ち」があるのかどうか、考えてみた。
つーか、「考えてみた」時点で、もともと、「お祝いだ~」というような、沸き立つような高揚感が無いわけで、ということは、「祝う気持ち」も無い、あるいは、少ない。という事が実感できた。

・・・まわりくどいな、

しかし、私は日本が大好きだ。この国に生まれ育って本当にラッキーだとも思っている。

その気持ちと、「建国を祝う気持ち」とが一致しないのはなぜだろう?

おそらく、「何かから創り上げた、もしくは、独立した」という達成感が伴っていないからだろう。

だからこそ、日本が大好きだが、かといって「祝いたい」さらには「護らなければ」という意識も薄いのかもしれない。
このあたり、少なくとも戦後生まれの日本人の一人として、国とは、水や空気のようなもので、あって当たり前と思い込んでおり、その真価、尊さがわかっていないのだろう。

***抜粋ここまで***

ちなみにこの頃は、ミンシュが死に体にはなっていたものの、オザワ氏が権力を保持していたので、なんと中国の祝日に配慮しつつ全国を分断して祝日を決めようなどという、今となってはほんとに馬鹿げた構想をしていたのだった(笑)

この時に感想は・・・

***抜粋ここから***

いまや死に体となったミンシュの、苦し紛れの施策や発言には、いちいちツッコむ気も起こらないが、狂った施策を発表する度に、「国」や「社会のあり方」について考えるきっかけとなる事だけが、こヤツらの存在理由なのかもしれない(笑)

てなことで、2011年2月11日を、まともに自立できる国家を目指さなければいけないと、国民の大方が自覚した日として、あらためて、科学的根拠(笑)のある二十一世紀の建国記念日と制定し直してはどうか?

以上、一国民としての提案である。

ま、聞く耳もたーん!だろうがね(笑)

***抜粋ここまで***

てなことで、2013年、たしか、『政府主催で建国を祝う式典を開催する』というのが公約の一つだったはずのアベちゃんには特に目立った動き無し。

まぁ夏の参院選で足場を固めてから・・・という戦略なのだろうけど、とりあえずは「まだ公的には植民地化されていない(^^;)ニッポン」の独立及び自立をば、はっきり内外に示すくらいのコメントが欲しかったよなぁ・・・

ちゃんちゃん

2013年2月10日 (日)

分割型睡眠

久々に・・・

思いっきり爆睡~!

8時間半も寝た、しかも日中(笑)

寝るのにも体力が必要で、だから歳をとると長時間眠ることができないとのことだが、これならまだダイジョーブかな?(^^;)

普段はだいたい4時間で目が覚めるのだ・・・(^^;)

あ、でも、先日、「分割型睡眠こそ人間に適した睡眠パターン」という説を目にして、一人納得したのだ。

ご紹介しよう

人が夜中に目を覚ますことなく8時間眠り続けるのは不自然であり、元来人間にとっては睡眠の途中で起き出して、また眠りにつくという二峰性の分割型睡眠が適しているとのこと。これは科学的にも歴史的にも証明されているのだという(本家/.BBC News記事)。

1990年代に精神科医のThomas Wehr氏が、被験者グループを毎日14時間、暗闇状態の部屋に入れるという実験を1ヶ月間続けたところ、被験者らの睡眠パターンは4週間目で分割型睡眠に変化していったとのこと。被験者らは4時間寝たところで目を覚まし、起きた状態が1、2時間続いた後でまた再び4時間寝るという特異な睡眠パターンに落ち着いていったのだそうだ。

また歴史家のRoger Ekirch氏の著書「At Day's Close: Night in Times Past」は分割型睡眠にまつわる文献を500以上も紹介しているのだが、これによれば昔の人は夜中に起き出してトイレに行ったり、タバコを吸ったり、なかには近所の人に会うために出かけていく人もいたとのことで、寝ている途中で起き出して活動することは「ごく当たり前に」行われていたのだそうだ。

だがこうした分割型睡眠の習慣は、街灯及び家庭用照明の発達により、17世紀後半頃から徐々になくなり始め1920年代には社会意識から完全に消滅してしまったのだという。

Ekirch氏によれば、持続型不眠症などの睡眠障害の多くは、元来人の体が分割型睡眠に適していることに起因しているのではないかとのこと。

自慢じゃないが、子供の頃からいつでもどこでも、横になったら数分後には熟睡できる体質(笑)なので不眠症とは縁がないのだが、最近、あまりにもきっちり4時間で目が覚めるので、いよいよ老境にさしかかったのかと少々めげていたのだ。

そこへ、「分割型睡眠」の話を目にしたとたん、8時間以上爆睡できたということは、逆説的だが不安が取り除かれた結果なのか、はたまたとことん天の邪鬼なのか・・・(笑)

とにもかくにも日曜日。

天気快晴で単車にも乗れたのだが・・・
まずはゆっくり快眠できたことを喜ぼう(^-^)

めでたしめでたし

2013年2月 9日 (土)

(小)雪の蟠龍庭

金剛峯寺の奥殿を取り巻く二匹の龍を表した、石庭としては、2340㎡(約700坪)という国内最大級の広さを誇る蟠龍庭(ばんりゅうてい)の冬の一コマ。
ちなみに、この時期にしては驚異的に少ない積雪量だ。
130209banryutei
仕事で横の廊下を通りかかったのだが、思わず立ち止まって一枚。

庭が広すぎるので普段はあまり目立たない砂の箒目が、雪のおかげでくっきりと美しい。

眼福でした(^-^)

ありがとうございます~m(_ _)m

2013年2月 8日 (金)

patriotic art

リンク: <レーダー照射>中国政府初の正式談話、「一方的な虚偽情報」と日本を強く非難―中国国防部 - 速報:@niftyニュース.

「射撃管制用レーダーを照射」って、つまり「ロックオン」なわけで、すなわち『いつでも撃てるぞ~』じゃなくて、『これから撃つぞ~』なので、この時点で開戦の可能性もあったわけだ。

しかし、聞くところによると、これ、単なる現場の暴走らしく、中国政府も『報道で初めて知った』というから、乱暴な上にお粗末な話。

だが、それからが中国らしいというか、まさに「外交」のお手本と言っていい「日本に対する非難」が発表された。

決してこの態度にあきれてはいけない。

これこそがまさに国と国との「外交」の本質なのだから。

以下、2010年9月20日に「外交」と題して書いたブログの一部を再掲する。

決して手抜きでは・・・(^^;)

***再掲ここから***

外交:DIPLOMACY
それは、アンブローズ・ビアスの悪魔の事典によると、
The patriotic art of lying for one's country. である。

自分の国のために嘘を言う、愛国的な技術。ってな意味か。

尖閣諸島の問題で、中国がやってるのがまさに「外交」だろう。

対して日本は・・・orz

嘘、どころか、本当の事さえ、なぜもっと強く主張しないのだろう?

頭の軽い姉ちゃんが、いったん『領土問題』と口にして、すぐに取り消したけど、実際、中国が不当な認識を押しつけようとしてきてるんやから、これ、立派な領土問題やん。

ああ、頭が煮える。

この場合、中国を非難しても仕方がない。
本気で尖閣諸島を盗ろうとしている「確信犯」だからだ。
その行為は、「愛国心」に溢れているわけだ。

こんな時こそ、なぜ、日頃、「思いやり予算」で飼っているアメちゃんを使わないのか?
自分の手は汚さない、のも、我らの愛国心の発露だと言い切ればいい。
これは決して、戦争をけしかけろ、と言っているわけではない。
「世界の警察」「世界のジャイアン」をして、中国への批難決議を出させればいいだけだ。
そのための「安保」ではないか。
きっとインドも味方してくれるはずだ。
そして、尖閣諸島を守り抜けたら、次はいよいよ露助(言葉が悪いけど、こと外交に関する彼らの卑怯さはこう呼ばれてしかるべき)から北方領土を取り戻すのだ。

あくまで、平和的に、武力は使わず、「世界の趨勢」を創り出していくのだ。

それがなかなか難しい?
当たり前だ、だからこそ、国家百年の計で取り組む価値がある。

悲しい事だが、日本みたいに外国を「好意的」「話せばわかる的」に見ている国など、世界中探しても、どこにも無いと断言してもよい。
他の国はもっともっと苦労して、国体を護ってきたのだから・・・

もちろん、「外交」の果てに、理想として「友好」を目指すのは言うまでもない。

しかし、外国との「友好」は、あくまで「外交」の妥協が生むものであることを忘れてはいけない。
それくらいの程度にしとかんと危険や・・・

以上、あくまで、国対国、としての見方である。

個人同士ならもっともっとわかりあえるとは思うのだが・・・

***再掲ここまで***

日本側にも、patriotic artの使い手がいることを願う。

2013年2月 7日 (木)

忙殺の日々(^^;)

またもブログを更新しないまま、2週間以上過ぎた(^^;)

ひたすら、忙しかったんや~(>_<)

てなことで、巷間ささやかれているように(^^;)

鬱で引きこもってるわけでもないし~(^^;)
離婚したわけでもないし~(^^;)
怪我してキーボードが打てんようになってるわけでもないんです~(^^;)

・・・とか、ブログに書くと、
『へぇ~そんな噂になってたんや~』と思われるだけなのだが(^^;)

ただまぁ、左手の甲を、ちょこっと怪我して二針ほど縫うたのは事実(笑)
キーボードを打つのには不自由はなかったのだが、怪我を理由にブログ更新をサボってたのも事実(。。 )\バキッ☆

で、昨日抜糸して、ほぼ回復したので、もう言い訳もできんので今日からまた再開?

義務でもなんでもないのだけれど(^^;)
自分的に毎日続けないと納得いかんというかなんというか・・・

とにもかくにも、ダイエットと同じで・・・

明日から、うん、明日から~(。。 )\バキッ☆

ちゃんちゃん

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