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2012年2月 7日 (火)

温山荘園 その4 矢の島のトンネル編

再び西の池のほとりの周遊路に戻り、これまた巨大な飛び石の橋を眺めつつ・・・
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左を見るとそれがあった。
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トンネルの入り口である。
『海からの風を入れるため、矢の島にトンネルを造っています』と説明では聞いていた。
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入り口はコンクリートの洗い出しのような仕上げになっている。
ここでも当時の超最新の建築材料を装飾に使っているのだ。
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高さも幅も約3m、大工事だったと思われるが、資料によると、このトンネル、庭造初期に造られたのだそうだw(゜o゜)w
つまり、庭造した後『もうちょっと風が欲しいのぉ』ではなく、庭がまだできてないうちに、『矢の島に穴を開け、風を通せ~』だったのであるw(゜o゜)w
長次郎さんどこまで入れ込んどったんやろ?(^^;)

トンネルはちょうど真ん中あたりから手掘りのままの状態になる。
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↑ふり返って見た画像
これはおそらく、資金不足の結果などではなく(そんなはずは絶対無い(笑))トンネルの反対側のプライベートビーチからの景観を考慮したものであろう。
さて、出口は・・・
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おぉお~!
これはまた、四国の御厨人窟を思い出す眺めぇ~\(^o^)/
奇跡がまた一つぅ~!
と、一人勝手に盛り上がった(笑)
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↑↓プライベートビーチからの眺めは、後世の埋め立てにより激変していたが(^^;)往時を偲ぶには十分な空の青さが広がって、満足まんぞ~!
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来て良かったな~ありがてぇな~とつぶやきながら再び西の池のほとりへ向かった。
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西の池の取水口を見ると、全部魚伏?で塞がれていたので、やはり当初は魚を泳がせる事は想定されていなかったのだろうか?
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上記の巨大飛び石の橋を渡ったところ、中門が出迎えてくれる図式になっている。

さて、そろそろこの実地見学も終了・・・
って、見学後自由解散やったから、もうみんなとっくにおれへんやーん(笑)

しかし、気分は高揚したままだったので、なおも去りがたく、
長次郎翁の銅像に記された文を読んでみた。
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最初に見た時は、お金持ちが見下ろしてる~という風に見えてしまってた(^^;)銅像も、今は、残された子供達が翁の遺徳を偲び、いつでも会えるようにと建立したという趣意が素直に胸に伝わって感動。

心洗われました~m(_ _)m

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この門柱も、今や違って見える(^^;)

百年前、星雲の志を抱き、刻苦勉励して見事に夢を実現。道楽を世の人を楽しませるまでに昇華させた新田長次郎翁。

ありがとうございました。

まさに虚往実帰でありますm(_ _)m

また、今度は、春の花たちを見に来させていただきます~m(_ _)m

めでたしめでたし

2012年2月 6日 (月)

温山荘園 その3 西池泉編

西の池でまず目に飛び込んでくるのがこの巨大な一枚岩の橋。
資料などによると、長さ9m、幅2.2mとのこと。
こちらの池が最初に造られたもので、南北に細長く随所を屈曲させて変化をもたせている。面積は2700㎡(816坪)
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と、ここで道順は少し池から外れ、一番最初に建てられた建物である「浜座敷」に向かう。
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堤防の向こう、黄○で囲んだところに浜座敷はある。
左側の道路は、埋め立てによってできたもので、元はここら辺り一体は海だった。
なるほど~!
と、閃きながら、急ぎ足で浜座敷へ~
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おお~!
この清水寺の舞台みたいに高台に組まれているのは波除けというより、眺望を優先したものだという。
つまり、当初私が不思議に思った「この庭造では、海の眺め(というより水平線の眺め)が見えない」というのは、実はこの浜座敷で十二分に実現されていたのだった。
この浜座敷残念ながら立入禁止だったが、朝焼けが描かれた襖があるという。
位置関係で言えば当然、夕日が水平線に沈むところも見られただろうし、抜群の眺望だっただろう。
ちなみに、ここでまた妄想するに(^^;)朝焼けが描かれているということは、夕焼けは生で見られる機会が多いが朝焼けの方は少ない、つまり、当時の人も朝寝坊が多かったって事だろうか?(^^;)
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さてさて、浜座敷を後にして、今度は矢の島を登って、例の監視小屋?まで行ってみた。
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なにしろ百年前のもの、かなり老朽化しているが、これが長次郎さんの砦であり、楽しい隠れ家、ヒミツ基地だったのだ(^-^)
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池を見下ろし、しばし長次郎さんの気分に浸る。
あちこち見回していたら、なんと素敵なプレゼントが~w(゜o゜)w
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拾得物?(^^;)勝手に持って帰ってきてはマズかったかもしれんが・・・(^^;)
これはもう、絶対、長次郎さんが私に記念品を下さったのだ~m(_ _)mと理解したm(_ _)m
で、帰ってから高野山の鳥博士Nさんに鑑定してもらったのだがそれはまた別の話
今度はどんな奇跡が起きるのだろうとワクワクしながら、次のポイントへ向かった。

矢の島のトンネル編へつづく~

2012年2月 5日 (日)

温山荘園 その2 東池泉編

2月3日の実地見学。

昨日のブログで、ここ温山荘園を「究極の道楽」と書いたのはなぜか?

それには研修で聞いた造営の経緯を紹介するのが一番だろう。

明治44年、新田長次郎翁、いや、この時は55歳だから、翁と呼ぶにはまだ早すぎるか?
しかし、当時の平均余命から考えればもはや老齢の範疇、長次郎自身も、体調を崩しており、九州帝国大学教授の槇野文二から血色が悪いことを指摘されるに至ったそうだ。

28歳で独立、「東洋の製革王」の異名をとるごとく事業に没頭邁進してきた長次郎さん、功なり名遂げたがゆえに、人生に疲れてしまっていたのかもしれない。

そこで槇野教授は宣った。
『健康回復には自己の欲する処、好む所を趣味として行ふが第一の養生法なり』と、

長次郎さんは庭造りが好きだったらしい。

『庭造が好きなれば夫れこそ好き道楽なり、是非夫れに親しみ身体の健全を計り、百年の齢を保たれ度し』と忠告したという。

・・・ここからは私の妄想だが、槇野教授もきっと、長次郎さんがここまで「入れ込む」とは思っていなかったと思う(^^;)
しかしさすがは、何事も徹底的にやる長次郎さん、
趣味もとことん、やりきったわけですな~(^^;)

ネット情報などによると、庭の基本設計は武者小路千家の茶人、木津宋詮が、建物は長次郎の長女カツ子の結婚相手である木五七郎が担当した。となっているが・・・
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↑矢の島の中腹あたり、着○で示したあたりに小屋があるのだが、長次郎さんはここから俯瞰しつつ、庭造工事を監督していたのだそうだ。
(後でここに登ってみたら素敵なプレゼントをいただいた(^-^)これは後述する)

ここからはまた、私の狭い了見(^^;)による妄想だが、仕事柄の経験上、功なり名遂げた人が趣味に没頭した際の「専門家の言う事は、とりあえず参考にはするけれど、最終的には自分のやりたいようにするし、それがまた時々専門家の常識的な構想を凌駕してしまう」場合があるのをよく知っている。
絶対、長次郎さんは自分の造りたい庭、造りたい家を造ったはずなのだ。
そうでないと、わざわざ小屋まで造って監督などするまい。
おそらく、最初は矢の島を背景に西の池だけの計画だったのが、どんどん構想が膨らみ、その倍以上の東池を造ったことにも、その「入れ込みよう」は表れている(^-^)

この庭園の中で最も気に入ってた矢の島から、庭を眺めつつ、さらに自分の造りたいように指図する毎日。

・・・めっちゃ楽しかったやろなぁ~(^-^)

効果はてきめんだったようで、長次郎さんは生き甲斐と活気を取り戻し、その後もなんと79歳の長寿を全うするまで、庭を造り続けたのである。

・・・めっちゃ楽しかったやろなぁ~(^-^)

てなことで、私も長次郎さんの遊び場を回遊させてもらお~
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道順に従うと、後からできた巨大な東池から巡ることになる。
南北88m、東西90m、面積は5900㎡(1785坪)
池の周りの燈籠他、モニュメントがたくさんあり、見所は随所に溢れているが、あちこちに植栽された様々な植物もその一つ。
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クチナシのつぼみ?
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池の中央にある中島から主屋を望む。
長次郎さんは四国出身だからか、タヌキの彫像も見られる。
他を抜く、という縁起物だ。
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潮が満ちるまでここで居たい~という誘惑にかられる~(笑)
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東池の橋を渡ると趣溢れる茶室がある。
しかし・・・
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塀はコンクリート製!
予備知識がなければ興ざめてしまったかもしれない。
先入観とは恐ろしい物だ。

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さきほどの風花の舞とはうってかわって、眩しい青空が広がりだしたので、パノラマで撮ってみた。ここからだと池の大きさがよくわかり開放感も大きい。
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そしてこれは・・・
初めて見たのに何かとても懐かしい・・・
おお!
あれ、あれに似とるんや~
季節も場所も違うけど、とても雰囲気のある場所で、陽光に照らされてこちらに手を広げて挨拶してくれてるようなシチュエーションは同じ・・・
そう、ウドゥイガマで見たクサトベラに似てるんや~
って、横の看板見たら、そのものずばり、「トベラ」やった(笑)
なるほど、こっちが本家?で、あっちは草やから「クサトベラ」なんやね~
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池の東南の角からの眺め。
池に青空が映り込み、ここでも満潮を待ちたい誘惑に駆られる(笑)
と、その瞬間。
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池の中央の岩に一羽のアオサギ?が舞い降りてきた。
しゃ、写真~!と慌てて一枚。
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次の瞬間、アオサギは飛び立っていった。
いや~ん、泣かせるやーん、
俺もう、ホンマ感激ぃ~!
別に滅多に見られないという光景ではない、しかし、やっぱり、これは一つの奇跡。
ありがとうございます~m(_ _)m
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この東南の端からは長い散策路が続く。ベンチは後年のものではなく、庭造当時からあったものだと思われる。
なぜなら、長次郎さんは、ここを独り占めにせず、人々に開放していたからだ。
当時は駅まで直近に造られ、昭和5年には4617名の見学者があったと記録も残っているそうだ。
やっぱり粋なおっちゃんやったんやね~(^-^)
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東の池の西の端(ややこしいな(^^;))海水の出入り口がある。
ここから入り込んだボラが時々池の上でジャンプするのも見所の一つとなっているらしいが、どうやら当初は犬伏ならぬ魚伏で大きな生き物は入れないようにしていたのが、魚伏が一部壊れてボラが来られるようになったのかもしれない。

てなことで、西池編につづく~

2012年2月 4日 (土)

実地見学:温山荘園 その1

誠に不謹慎な話だが、当初はこの二日目の実地見学、あまり気が進まなかった。
予備知識として、国内でも珍しい潮入式(池に海水を引き込み潮の干満で情景を変化させる形式)で、18000坪の面積は個人所有としては日本最大の庭園。というくらいは知ってたが、キョーミはあまり無かったのだ(。。 )\バキッ☆
いやその(^^;)
というのも実は、この温山荘園は、平成22年に庭園が国指定の名勝に、建物三棟(主屋・茶室・浜座敷)が重要文化財に指定されたわけなのだが、実はそれより20年以上も前に、この近所にある「養翠園(ようすいえん)」(実はここも潮入式)が国の名勝に指定されており、自分的にはそっちの方がメジャー?というか、温山荘園って養翠園のまねしごんぼちゃうの~?って思ってたわけ(^^;)

↑ちなみにこういう風に思うには理由があり、小規模なものはともかくとして、大規模な潮入式の庭園となると、ここ温山荘園と養翠園、そして東京の浜離宮恩賜庭園と、三つしかないとの事。
で、浜離宮恩賜庭園ってのは、その昔、鴨猟のための鴨の養殖場を兼ねていたわけで、明治以前の(温山荘園は大正時代のもの)で、潮入式の純粋観賞用大規模庭園といえば、養翠園が唯一、とも言えるのである。
で、大正時代になってその養翠園の近くに同じような潮入式の庭園を造った。。。となると、やっぱりちょっとまねしごんぼやーんと私が事前に思ってしまったのも無理からぬ話でしょ~?(^^;)

つまり、はっきり言って、所詮は金持ちの道楽、建物だって成金趣味ちゃうのぉ~とか思ってたんです~(。。 )\バキッ☆

とまぁ先入観有り有り~の状態でまず見た門柱は、大正ロマンを感じるものの、この時代にしては珍しくコンクリート製。
ん?たしかここは巨大な紀州青石が売り物ではなかったの???と、自然石で無いのを不思議に思いつつ長い馬車道を進むと・・・
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矢の島という島もろとも買い取り、埋め立て工事を経て黒江湾に突きだした18000坪の庭園の案内図があった。
ここでも少し不思議に思ったのは、中央の主屋を池が取り囲んで回遊するようになっているのだが、この位置関係では主屋から海は見えず、海面に映える朝日も夕日も眺められないではないのか?ということ。
大正時代の人の感覚は現代人とは違うのだろうか?
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と、さらに不思議感を強めつつ主屋に近づくと・・・
ありましたありました~
お約束?(^^;)の巨大銅像が~
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なんだかすごく人の良さそうな翁の像を見上げ、一応は(^^;)「お邪魔しますm(_ _)m」と黙礼し、主屋に向かった。
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主屋の玄関を見て、ちょっと印象が変わった。
シンプルかつ丁寧な平屋の杉普請。
非常に上品ではないか。
大正時代ならもうちょっと彫刻で飾ったりしててもおかしくはないが、少なくとも金満家が訪問者を威圧するような意図では作られていない。
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座敷に上がりふり返ったところ、
ここも極めて簡素かつ上品な作りで好感が持てるのだが・・・何か・・・こう・・・違和感が・・・
・・・
・・・なるほど!
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天井板が・・・
美しい杉杢ではなるのだが・・・
これ・・・
ベニヤ板やーんw(゜o゜)w
な、なんで、なんで、なんでぇ~!???
仮にも重要文化財なんでしょ~?
つーか、日本最大の個人庭園の主屋の上がり座敷よ~
ベ、ベニヤ板・・・
ひょっとしてこれ、後世の修理か?
それにしても、ベニヤで修理するか?
えぇ~~~w(゜o゜)w
・・・と、大混乱(^^;)した私は、主座敷での研修で、自らの愚かさ、見識の狭さ、何より、ここを作った新田長次郎翁に抱いていた偏見を思い知らされたのである。
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↑ちなみに、みんな遠慮して真ん中には座らない(^^;)
当然、私も端っこに座って研修を受けたのだった。
さて、まずはこの↑↓欄間にご注目~!
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まさに、「兔、波を走る」の図。
すでに研修が始まったというのに、なかなか目を離せなかった。
しかもこれ、たぶん屋久杉の一枚板を、わざと大幅に削って図案としているのだろう。
すごく贅沢で、それが嫌味でないどころか、この大きな座敷をさらに雄大に引き立てている。
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波の仕口をUPでゲット(^^;)
どこかで使おっt・・・(。。 )\バキッ☆
兔もそうだが、わざと粗彫りにすることで躍動感が増している。
後で伺った話だが、相原雲楽(高村光雲の弟子)の手によるものだそうで、この欄間だけを見学に来る人もいるらしい。道理で私みたいなもんにでもすばらしさが伝わってくるはずのものだった(^^;)

てなことで、ベニヤ板の謎は解けてないものの、この時点で、さっきまでの僻み根性はどこへやら(^^;)、すっかり新田長次郎翁&温山荘園ファンになりかけていた私だった(^^;)
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琴の浦にある温山荘、と、そのものズバリの扁額の揮毫者は、なんと、あの東郷平八郎元帥w(゜o゜)w
「庚申」とあるから、おそらくは1920(大正9)年、明治45年から建築が始まり、二つ目の東側池が完成した頃であろう。
ちなみに、温山は、新田長次郎翁の雅号であり、出身地である愛媛県は温泉郡の山西に由来するもので、それにちなんで東郷元帥がここを温山荘と命名したのだという。
それにしても、東郷元帥の書、木訥かつ剛毅で、これにも目が吸い寄せられる。
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他にも額はたくさん掲げられているが、やはり圧巻はこの秋山好古大将のものだろう。
「坂上の雲」の秋山兄弟大ファンな私は、ここで新田長次郎翁と秋山大将が大親友だったことを初めて聞き、とたんに小一時間前の無礼な心持ちを心から反省!m(_ _)m
この後、素直に謙虚に(^^;)温山荘園を見学させていただくことにしたのであーる(^^;)

ちなみに↑は 静 者・・・安?かな?←極めて自信無し(^^;) 乞うご教授~m(_ _)m

で、こうなると、もう何もかも見たい~!となるのが私(。。 )\バキッ☆
普段公開してないという、RC造の地下室へも紛れ込ませてもらった(^^;)
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天井に残る装飾の跡などは、まさに大正ロマンの世界。
新田翁はよほど「新しモノ好き」な人だったのだと思う。
そして、ベニヤの謎も研修の説明で解けた。
現代の感覚でいうベニヤ板、つまり、安物の合板、などではなく、
つまりは、当時の最新鋭の建築材料としての、ベニヤ、というよりは、突板化粧合板なのだ。
帰宅してから調べたところ、なんとなんと、新田翁は、「東洋の製革王」と呼ばれた人で、産業用革ベルトで財を成しただけではなく、革のなめしに使うタンニン製造からの派生事業として、「日本で初めてベニヤを作った人」だったのである。
つーか、高級プライウッドのメーカーであるニッタクスって、「新田ベニヤ」からのCIやったんやね~w(゜o゜)w

し、知らんかった・・・orz

反省~!m(_ _)m
ほんと、身の程知らずとはこのことでしたm(_ _)m
先人の叡智と努力を、金持ちの道楽と決めつけ、斜めに見てた自分が恥ずかしい。

で、でもね、

研修の説明を聞けば聞くほど、やっぱり、ここ、究極の道楽、の産物なんですよ~(^^;)
↑庭園編で説明します~

その前に、

 

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謙虚で素直になったご褒美?(^^;)
めっちゃええ感じの階段の滑り止めの意匠発見~!
こ、これは使えるぅ~\(^o^)/
どっかで使わせてもらうぞぉ~

これが、リスペクト、ってやつ?(^^;)

てなことで、いよいよ庭園に向かう。
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文字通り、ちょっとかぶいている冠木門(^^;)
しかしこれも、文化財の附(つけたり)指定を受けているのだ。

※附指定:そのもの自体は文化財ではないが、文化財の本体と一体の価値があるとされるモノ。仏像などの札がよく附指定されている。

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つまり・・・
このちょっと朽ちたベニヤも文化財なのである(^-^)
そう思ってみるとなんだかいとおしく感じられる私は変わり身が早い?(^^;)
あぁ、同じくベニヤで修理してみてぇよぉ~

 

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てなことで、いよいよ庭園へ、

と、思ったら、画像ではわかりにくいが、突然、庭園全体に風花が舞い散りだし、すぐに止んだ。
一瞬の美しい奇跡に立ち会えたことに感謝したm(_ _)m

まるで新田翁が、『お若いの、肩から力が抜けたんなら、ゆっくり見ていきなさい』と語りかけてくれたような心持ちでもあった。

つづく

2009年4月17日 (金)

久しぶりに生で

今日は所属してるクラブの創立記念例会だった。
通常は午後1時から30分間、卓話の時間として各メンバーが回り持ちで話をするのだが、本日は笑福亭松枝師匠をお招きしプチ落語会が開催された。090417rakugo1
落語を生で聞くのは久しぶりだ。
というか、落語自体を聞くのが久しぶりなのだった・・・

もともと落語は大好きで、高校時代は落研に入っていたくらいだし、20代から30代の頃は、ほぼ毎日、CDで聞いたり、ビデオで見たり、本を読んだり、時には寄席に行ったりしていたものだった。
何しろ私の誕生日ときたら、林家彦六師匠(八代目正蔵)の生まれた日で、柳家小さん師匠(五代目)が亡くなった日なのだ。
・・・生まれつき、落語みたいな人生を送るようになっているのだろう(笑)
ところが、'99年に上方落語で一番好きだった桂枝雀師匠(二代目)、そして'01年に江戸落語でこの人はすごい!と思ってた古今亭志ん朝師匠(三代目)が相次いで亡くなってから、どんな落語を聞いても物足りないし、お二人の死を思い出して笑うどころか切なくなってしまうので、すっかり遠ざかっていたのである。

今日も、出席義務があるので参加した、と、久しぶりに生の落語を聞いてみたい、が半分半分だった。
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ところが、
弘法大師が出てくるマクラや、「蛸坊主」のダイジェスト、そして、ネタにもお坊さんが出てくる「天狗さし」をご披露いただいた松枝師匠の話芸にあっという間にすっかり惹きこまれてしまったのだった(^-^)
会場も爆笑に次ぐ爆笑、何しろ師匠が「タコ坊主ぅ!」なんて叫ぶ正面に、実際お坊さんが座っているわけで二重におもしろい(笑)
師匠はずいぶんやりにくそうだったが(^^;)それがまた次の笑いを誘うという具合。
少人数、そして30分という短い時間にもかかわらず、ずいぶん話を練って持ってきてくださったのがよくわかり、ああ、これが落語っていうもんなんやなぁ、さすがはんなりした仕種が見事やなぁ、こんな笑いはなつかしいなぁ、それにしてもおもろいなぁ・・・と忘れていた何かを思い出したような気分(^-^)

また、聞いて見て読んで、寄席にも通ったりしたいなぁ・・・
それにしても落語って偉大な文化やなぁ・・・
これが芸っってモンの持つ力なんやなぁ・・・

松枝師匠、ありがとうございました~m(_ _)m

・・・おあとがよろしいようで(^-^)

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