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2009年4月11日 (土)

お悔やみ

亭長さんのご母堂様が本日午前7時、ご逝去されました。
ここに謹んでお悔やみ申し上げます。

なお、
通夜は12日(日)午後7時より、 
告別式は13日(月)午後2時より(出棺は午後3時)
高野山571 赤松院(せきしょういん)さんで執り行われます。


2009年3月18日 (水)

めでたさ3倍!

ラ・パーチェさん閉鎖まであと19日。

ニュースには、残っている犬達が紹介されています。

残るは、9頭、
アイ・どんべえ・親分・りく・くろ・チョッパー・大木くん・ベル・隊長

どうか、4月5日までに、
全ての犬達の里親さんが決まりますように、

さて・・・
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本日、奥之院燈籠堂で修復の御法楽が執り行われた。
↑は棟札である。
↓はその裏面、
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燈籠堂の棟に飾っていただくと思うと、お尻がこしょばゆい気もするが(^^;)、
「施工者」として冥利に尽きるという心持ちであるm(_ _)m

そして、めでたい日にはめでたい事が重なるもので(^-^)
090318t
というのも、先週末は・・・
そもそもなんで、締め切り日が日曜日(15日)なのぉ?って、土曜日の消印有効と言われても高野局からは送れんしぃ、橋本局からでもちょっと心配って、息子よお前はなんで金曜ギリギリまで顔写真撮るの忘れとった~ん?せっかく合格したのに書類ではねられたらドースルのぉ~!状態、だったのである(^^;)

で、駆け込みで送付した入学手続き書類が無事届いていたようで、本日、受理書が戻ってきたのであ~る\(^o^)/

そして、
なんと、
これは~!w(゜o゜)w
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って、これから銀ぶら行くから、続きはまた後で・・・(^^;)
            ・
            ・
            ・
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てなことで、
実はこれ、総裁さんの高野山大学、中国語講座の成績表なのであーる(^-^)

総裁さんのお店の近くの現場にいたら、彼がこれを「勝訴」みたいに(^^;)胸の前にかざしながら近寄ってきて『見て、見てぇ~!』(笑)

彼は数年前から仕事の関係で、密輸業者と間違われかねないほど(^^;)台湾へ行った来たりしていて、昨年の春から超真剣に中国語に取り組み始めたのである。
ただ、それまでに実体験で会得していた台湾の言葉である閩南(びんなん)語と、北京語の発音はかなり違うため、苦労も多いようだった。

で、前後期を通して真面目に取り組んだ結果がこれ、
ほぼ満点の「優」の評価に、40を超えたおっさんが、初めて100点を取った子供のように、ものすごく喜んでいた(^-^)

とてもすばらしい笑顔だった(^-^)

ちなみに、高野山大学の中国語講座のレベルはマジで大変高いという事をお断りしておく。

いくつになっても、学ぶ姿はすばらしい。
私も見習わなくては、ね(^-^)

てなことで、めでたさ3倍!

めでたしめでたしめでたしぃ~!

2009年3月16日 (月)

A君のこと

ラ・パーチェさん閉鎖まであと21日。

ニュースには、残っている犬達が紹介されています。

残るは、9頭、
アイ・どんべえ・親分・りく・くろ・チョッパー・大木くん・ベル・隊長

どうか、4月5日までに、
全ての犬達の里親さんが決まりますように、

さて・・・
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橋高の一学年先輩、A君のご両親からお祝いをいただいたm(_ _)m
息子の寝坊癖をよくご存じなのか(笑)
姿も音量もでっかい目覚まし時計~w(゜o゜)w

A君は昨年、京都大学に楽々パスした実力の持ち主。
この先輩がいてくれたからこそ、息子も東大へ向かって励めたのだと思っている。

息子が入学した時、2年生だったA君は橋高の将棋部主将を務めていた。
部員は・・・一人(^^;)
つまり、A君だけが将棋部の看板を守っていたのだ。
そこへ息子を始め1年生が6人入部し、一年後には和歌山県大会で3位を勝ち取るまでになり、翌年、息子が主将を務めた時には2位。
勉強ばかりではなく、充実したクラブ活動も、A君の背中を追ったおかげだろう(^-^)

さて、和歌山大会というのは、たいてい田辺市で開催される。
面積だけは無駄に(^^;)広い和歌山県の、一番遠方の高校同士からの中間点が田辺市という事だが、それでも100km以上の彼方だorz
試合当日、高野山発の電車だととても間に合わないので、JRの高野口の駅まで二人を車で送った事がある。
この時は、A君が3年生、息子が2年生になっていた。
車中で、A君が『○○君、僕はねぇ、京都大学へ行って、量子力学の研究をしたいんよ』『量子力学の世界っておもしろいよ~たとえば・・・』と息子に語りかけ、息子も楽しそうに相づちを打っていた。
それを聞いていた私は「君らなぁ、高三と高二の男の子やったら、どこそこの誰それがカワイイとか、他に話題は無いんか?」とツッコんでみたのだが・・・全然相手にされなかった(ToT)
そして、高野口の駅に少し早めに着いたので、車中で出発を待つ事になったのだが、二人はさっそく、折りたたみ式の将棋盤を取り出し、ぱちり、ぱちりと打ち始める始末。
「こ、こいつら、おっさんや~!」と、内心あきれたものだった(^^;)

そして昨年、A君はセンター試験で、東大でも楽勝パターンの9割4分近い成績を収めた後、あくまで「京大で量子力学を」の意志を貫き、見事に合格!

息子のA君評は、「気持ち悪いほどできるでぇ~」である。

人口がぼちぼち3000人を切りかけている高野山で、一学年上に、こんな優秀な先輩がいてくれ、努力する姿を見せてもらった事で、息子も「その気」になれたのだと思う。

昨年の3月、合格の報を聞き、かけつけた私が、
「A君、おめでとう!さすがやねぇ~!!」

A君は言った。

『ありがとうございます、これで、思いっきり勉強できます』

「き、君はまぁだ勉強する気ぃかいな~!」

ご両親の前だったが、思わずツッコんでしまった私だった(^^;)

そして一年、今度はありがたくもこちらがお祝いしていただく事に、
ご両親がわざわざ↑の目覚まし時計を届けてくださったのだ。

奥さんはカミさんと、
旦那さんは私と、
それぞれ、母と父としての思い出を披露し喜び合った。
A君のご両親も、一年前を思い出し、感慨無量の思いを新たにされたようだった。
ちなみにA君は、今では京大奇術研究会に所属し、趣味も学業も充実した生活を送っているとの事(^-^)

そして、A君のお父さんが一言、
『橋高の将棋部って、灘高より偏差値が高かったって事ですな』(笑)

う~む、なるほど!(笑)

後輩達、その伝統に乗っかって、行け行けぇ~!(^-^)

めでたしめでたし

2009年3月15日 (日)

家族で

ラ・パーチェさん閉鎖まであと22日。

ニュースには、残っている犬達が紹介されています

ここ数日の間に、
ユウ・クロ・みき・よもぎ・もなか・ロン・くう、達の里親さんが決まったようです(^-^)
残るは、9頭、
アイ・どんべえ・親分・りく・くろ・チョッパー・大木くん・ベル・隊長

どうか、4月5日までに、

全ての犬達の里親さんが決まりますように、

さて、本日は山の中・・・
って、実はお墓参りに来たのである。
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家族揃って、というのは何年ぶりだろう?
誠に罰当たりな話だが(^^;)「墓へ行かんでも、ご先祖さんは見守っててくれる~」と思ってるのと、これが一番の原因?(^^;)というか、幸いにして、私もカミさんも両親が健在なので、彼岸には必ず、という事はないのである。

ちなみに、私の生家は高野三山の一つ、摩尼山(まにさん)のふもとにあり、元平家の落人集落とも言われており、その特徴?として、村の入り口に墓所がある。
平家の落人集落、と言っても、その存在自体が信憑性にかけるとの説もあるし、村の入り口に墓所があるのは、何も平家特有の風習でもないだろう。
だがしかし、村に入るためには墓所の前を通過せねばならない配置というのは、やはり、先祖が村を護っているという考えに基づくものであろう。
また、かつて四国の山中をさまよった時(’05年4月24日)、平家屋敷跡や京柱峠付近の風景と地名があまりにもふるさとと似ていてびっくりした事もある。
ともあれ、元平家だのと出自を誇るつもりは毛頭無い、数代前に富貴から越してきた杣人であるらしいのがわかっている。
尾上(おのうえ)という名字も、おそらく、尾根の上、が訛ったものであろうと推測している。

さて、私が一歳の時に、この西ヶ峯という村から、両親が高野山内に引っ越した時は、当時100名を超えてにぎやかだった村人達に、『菜っ葉一つでも買わなあかん高野の中へよう引っ越すもんやな』と笑われたという。
このあたりは、標高が若干低いのと、日照があるため、高野山内よりはあたたかく、米作は無理としても、菜根類の栽培が可能なため、林業と農業で自給自足の生活ができていたのである。
それが40数年で人口が、ほぼ0となってしまった。
以前、外国の人にこの話をしたら、『国際空港から1時間半の圏内で、過疎が起きる事が信じられない』と、驚かれた事もある。

父母ともこの村の出身のため、墓も近接しており、娘と息子は幼い時によく昔の生家に遊びにも連れて行ったので、ふるさと、というイメージは無いだろうが、ある程度の郷愁のようなものは感じているらしく、今日もピクニックがてら(^^;)ええ天気やからやから、久しぶりにお弁当持参で墓参りに行こうという話になったのである。

20歳の娘と18の息子が、日曜日に墓参に付き合ってくれるというのはありがたい話かも?(^^;)

てなことで、父方と母方、それぞれの祖父母、叔父さん、そして一族郎党の墓と、順番にお参りして、天気はいいけど寒かったので・・・家に帰ってお弁当を食べた(笑)

ちゃんちゃん

2009年3月12日 (木)

先輩へのメール

お祝いメールを下さった先輩への返信。

※経緯がわかりやすいよう、若干改変してあります。

○○○○様

ありがとうございます~m(_ _)m

昨年の8月頃、塾の先生に『いよいよ東大受験コースへ』と勧められたあたりから、
「阪大でも十分やのに、無理して東大受けて、落ちたらドースルの?」という気持ちが、
「しかし、行けるものなら行かしてやりたい」という気持ちに変わり、
ついには・・・「できればやっぱり東大へ入ってほしい」・・・と、
親の欲目も手伝って、いつのまにか、東大の魔力に巻かれてしまっていました。

○○先輩が電話でおっしゃって下さった、
『受かったから言うんちゃうけど、おんのん(私の事)が息子さんを思う気持ちって、たとえ不登校のまま中卒で終わってたとしても、万一、高校生活が荒れてたとしても、今回東大受かったとしても、親としての愛情には何の変わりも無いんやろ』というお言葉、
そうや、そうやった、
娘も息子も、元気でおってくれるだけでええんや、って思えた日の事、
あざやかに思い出しながら感激しておりました。

いつのまにか、『これなら東大行けますよ』ってな言葉に舞い上がり、大事な気持ちを忘れていたように思います。

電話で喋っているときは、ちょうど奥之院からの戻り道でして、
○○先輩がおっしゃって下さった言葉にちょっと涙ぐみつつ車を走らせておりましたら、
真正面から輝く夕陽が目に飛び込んできました。

まさに、後光が差した瞬間、でした。

ありがとうございましたm(_ _)m

・・・親父が飲んだくれて、川にはまってる間に、
息子は勝手に東大へ合格しちゃいました(笑)

おもろい人生です(^-^)

2009年3月11日 (水)

昨日のバタバタ(^^;)

ラ・パーチェさん閉鎖まであと26日。

ニュースには、残っている犬達が紹介されています

残りはあと16頭、
りく・くろ・チョッパー・大木くん・ベル・クロ・みき・隊長・アイ・ユウ・くう・隊長・どんべえ・よもぎ・もなか・親分

ここ数日、動きが見られないようですが、
4月5日までに、全ての犬達の里親さんが決まりますよう、
切に願っています。

090310tennesiki
さて・・・
昨日、
>ちょっともう、なんちゅーか、すごい一日だった・・・
と書いた顛末を書いておこう。

まず、東大の合格発表の日が3月10日と知った時、「よりにもよってなんちゅー日に!」というのが第一印象(^^;)
毎月「10日」は支払日なので、少なくとも午後3時までは事務所を動けない。
その上、3月10日は、「祝!」で書いた現場の落慶記念式典も予定されていた。
そこで、当初は、尾上組の職員一同で落慶式典にかけつける事にして、支払日は一日、前倒しにするよう協力業者さん達に連絡しようとしていたのだ。

そして、3月10日と言えば、チベット動乱の50年目の節目であり、何と言ってもマルの命日でもある。
それでも当初は、「なんて濃い日なんや~」と思っただけだった・・・
ところが、間近になって、『10日にお願いね~』というご指定の仕事がなぜか集中!(^^;)
まずは↑の、おなじみ転衣式の仮設階段設置、そして、別のお寺の床の不陸調整工事も、宿泊客の日程上、10日にしかできない事になり、さらに「絵に描いた・・・」の浴室工事の仕上げも10日がケツカッチン(^^;)、そこへ奥之院の現場の自販機も10日の午前中に引き取りにきてくれる事になり、朝からてんやわんやになるのが決定~!(^^;)
そこで、施主様にはお詫びした上で、落慶式典へは棟梁と母と職人さんの代表一名に出席してもらい、後の職員で手分けして各工事を担当する事にした。

そして実際は・・・なぜか朝から別の用件でも電話が鳴りっぱなし(^^;)、嬉しい悲鳴を上げながら、三つのお寺と、奥之院、伽藍、六時の鐘・・・と走り回る事になったのだった。

その間、電話が鳴る度に、「すわ、郵便局からの連絡?」とドキドキ!w(゜o゜)w

というのも、郵政民営化のあおりを受け、現在、高野山内の郵便物はいったん橋本局へ送付されてから選別され、再び高野山に送られて配達、という不便さで、非常にタイムラグが生じるようになっている、つまり、山内の郵便配送で急ぐ場合は、橋本で投函するか、直接持って行った方が早いや~ん状態orzなのだ。
東大の合格発表は、直接見に行く他は、10日中にレタックスが届けば合格、というシステムなのだが、高野山の場合は翌日になる可能性も考えられたため、ちょうど隣家に元副局長が住まわれているのを幸いに(^^;)『レタックスが届くかどうかだけでも知らせてもらえませんか、もし、来るのならば、直接局で受け取りたいのです』とお願いしていたのである。

すると、システムは不便になったものの、人の親切は民営化以上のものでm(_ _)m
とりあえず、橋本局へレタックスが届いたら電話で教えてくれるとのありがたい言葉をいただいたのだった。しかし、その代わり、携帯電話が鳴る度に「今度こそ~!」と喜んだり、がっかり(^^;)したりの連続だったのである(笑)

結局、一段落着いたのが午前11時過ぎ、そして事務所に戻ったとたんに、また携帯が鳴り出した。
番号を見ると登録以外だったので、「また出動か?」と思いつつ出てみたら、これが高野局の別の番号だった。
『レタックスの件ですが・・・』と知り合いの受付のお姉さんの声、
「と、届いたんですかぁ~っ?」
『はい、橋本局へ尾上○○様あてのレタックスが届いたようです』
「ぅぉぉぉうぉ・・・」と最初は声にならず(笑)

「ええと、そ、それで、高野にはいつ来ます?」
『それが・・・午後の便なので、3時過ぎくらいになるんです』
「きょ、今日中に来るんならありがたいです」
『それで・・・配達にしますか、それとも局で受け取られます?』
「行くぅー!行きますぅ~!そ、それ、東大の合格発表ですねーん!」
『それはそれは(^-^)・・・では、なるべく早く連絡しますね~』
「ありがとう、おおきに、すんませーん!」

ハァハァ・・・
ちょっと頭がうまく回転しない(^^;)
息子宛のレタックスが橋本局まで来た。という事はこれは合格?やね?、ね?、ね?
うわぁ頭が混乱してきた~!誰かちゃんと説明してくれ~!って誰もおらんがな~!

これが10日でなければ、橋本まで取りに行くところだが(^^;)そうもいかない。
と、とりあえず、カミさんに報告じゃ~ってな事で自宅に駆け込む。

実際、こんな会話だった。
「あ、あのね、今、レ、レタックスが橋本まで、き、来たらしいんひょろろろろ・・・」
『え、なに?レ、レタックスが来たって、そ、それは、う、受かったってことととと・・・』
両者、語尾がふるえてちゃんと喋れない(笑)

「○○に、い、言うかかかかか?」
『も、もし、間違いやったらどうするのののの・・・』
「そ、そやけど、橋本まで来たっちゅーのは間違いないと思うでででで・・・」

二人ともちょっと足下がふらついていたので(^^;)手をつないで息子の部屋まで行った。

「ええと、今ね、その・・・橋本まで、レタックスが来た、という知らせが入った・・・よ」
と、一言一言区切りながら告げた。

『ほんまぁ?ほんまな~ん?』
日頃はクールで、親との普段の会話は『別に』『まぁまぁ』『たぶん』の三語ですます息子(^^;)が、幼かった頃の顔にもどって聞いてきた。

「ほんまや、そやけど高野へ来るのは3時過ぎらしい」
『うぉ~!やった!実は僕、夕べ寝てないねん』
これは意外だった、なにしろ、よく眠るヤツで、東大受験の日でさえ、本人は『自分で起きるからモーニングコールはせんでええよ』と言いながら、念のため電話してみたら、ぐっすり二度寝していて遅刻しかけたくらいなのである(笑)

「そうか~やっぱりプレッシャーはあったんやなぁ」

・・・『別にぃ~』

あ、いつもの息子に戻りよった(笑)

てなことで、まず、たぶん、おそらく、間違いなく合格?とは思うものの、やはり実物が来るまで待とうという事になり、その場は解散。私は事務所に戻った。
            ・
            ・
            ・
そして、そこから午後3時までの長かった事!(^^;)

しかし、ジャスト午後3時に待望の電話がかかってきた\(^o^)/

『レタックス、来ましたよ~』
「ありがとう~!すぐ行きます~!」
で、再び家に駆け込み(笑)
「来たぞ~!郵便局へ行って来るぞ~!」(笑)
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で、受け取ったのがこれ、
ぺらぺらの紙一枚だけが入ってるとおぼしき軽さにすぎないが、差出人は確かに、東京大学入試事務室とある。

まさか今年からシステムが変更され、不合格通知だったらどうしようと心配しつつ(^^;)慎重に家まで車を走らせた。
なにしろ、午前中は電話が鳴るたびに、急停止したり、一度は某店へ突っ込みかけたくらいだから(。。 )\バキッ☆ここで事故っては何にもならない(笑)

・・・で、リビングに家族が集合し、息子自ら開封して見せてもらったのが昨日の画像。

カミさんが一言、『こ、これ、本物?』(笑)

そして・・・みんなで拍手~!\(^o^)/

ありがとうございましたm(_ _)m

めでたしめでたし

2009年3月 2日 (月)

卒業式

ラ・パーチェさん閉鎖まであと35日、

ニュースには、残っている犬達が紹介されています。

「小雪」と「うの」の里親さんが決まったそうです(^-^)

残るは、あと17頭、
大木くん・ベル・クロ・みき・りく・小春・くろ・チョッパー・隊長・アイ・ユウ・くう・ロン・どんべえ・よもぎ・もなか・親分。

さて・・・
本日は息子の高校卒業式。
私は仕事なので、カミさんだけが出席。
先に帰ってきて一言、『進路がどうこうより、高校を卒業したって事で、感無量やったわ・・・』

息子は友達と一緒に遊びに行ったらしく、まだ帰ってきてないので、卒業証書も見ていない身としては、なんだか実感が湧かず、そういえば、HPを作り、日記を書き始めたのが息子の小学校の卒業式だったなぁと、ぼんやり思い出している。

ヤプース日記(当時、現在はヤプースブログに名称変更されている)の2003年3月19日が、初めての日記だった。
・・・それから6年、
超三日坊主の私が(^^;)やくたいもない事ばかりだが、どうしてほぼ毎日書き続けてきたのだろう?
不思議だ・・・

そして、ちょこちょこっと過去の日記を飛び飛びに読んでみたが、まるで昨日の事のように思える記事と、ものごっつぅ昔に思える記事が順番に並んでたりしてこれも不思議・・・

人の記憶・・・というか、私の記憶は、性格通り(^^;)ワガママ勝手でいきあたりばったりらしい。

まぁええか?(笑)

いろんな事がいろんな時にいろんな場所で起こる。

どう受け止めるかはやっぱり自分次第、なのだろう。

とにもかくにも、息子よ、高校卒業おめでとう!

カミさん、おおきに!

めでたしめでたし

2008年12月13日 (土)

恐竜絶滅に捧ぐ

本日のYOMIURI ONLINEに、「ザウルス」生産停止のニュースが載っていた。
記事を引用する。
***ここから***
シャープが、1990年代に大ヒットした携帯情報端末(PDA)「ザウルス」の生産を停止していたことが13日、わかった。
日本のPDAでは草分け的存在だが、パソコン並みの機能を備えた携帯電話「スマートフォン」の登場などで、役割を終えた。在庫がなくなり次第、販売も中止する。修理などのアフターサービスは続ける。
ザウルスは93年発売。液晶画面にタッチパネル方式で文字などを入力できる仕組みをいち早く採用したほか、パソコン通信やカラー液晶など時代を先取りする機能を次々に盛り込み、ビジネスマンらの支持を集めた。
 ザウルスの登場後、PDA市場にはソニーやカシオ計算機なども参入。市場は2000年に100万台まで急拡大。しかし、携帯電話の高機能化などの影響から市場が縮小し、シャープも06年3月のモデルを最後に新製品の発売を停止していた。

***ここまで***

感慨無量、というと少々オーバーかもしれないが、一つの時代が終わったのだなぁとしみじみ思う。
今以上に新しモン好き(^^;)だった私は、93年の発売直後に液晶ペンコム「PI3000」に飛びついたのだった(笑)
そして、3年後、モデムが付いた「PI7000」に乗り換え、携帯電話と無理矢理つないで(^^;)「パソコン通信」にいそしんだものだった(笑)
↓よほど愛着があったのであろう(笑)捨てるに捨てられず、事務所の引き出しの中に置いてあったのを引っ張り出してみた。
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家族で撮ったプリクラが泣かせるね~(^^;)
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ただ、残念な事に既に本体の電池がアウトで中身が見られない(ToT)
しか~し、ダイジョーブ!(笑)
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じゃっじゃーん!
さらに2年後に登場した「カラーザウルス」である。
PI7000のデータは、光通信によってこいつに移植したから、全データが残っているのだ(^-^)v
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これまたモデム付で、確かmovaと繋いでインターネットにも接続していた記憶がある。
めっちゃめちゃ遅かったはずだが、繋がるだけで嬉しかったものだ(笑)
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カレンダーを確認すると、2000年の12月までけっこうマメにスケジュールを登録している。
''99年の10月を見ると、ちゃんと「学修潅頂」も予定に入っていた。
時間が重なって「三役・委員長会議」とあるのは、当時在籍していた「JC」の予定で、このときは理事長だったから必ず出席しなければならず、学修潅頂を早退させてもらう必要があったので書き込んだのだろう。
で、2001年以降のスケジュールが無いのは、先の記事の通り、おそらくその頃から携帯電話でスケジュール管理するようになったからだと思われる。
そして当然の事ながら、ザウルスの使用頻度もめっきり減っていったのだった。
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そんな中で、数年前までちょくちょく使ってた機能がある。
つまり、それまで書き込んだいろいろなデータを閲覧していたのだ。
これまたマメに分類してある(笑)
今となってはよくもまぁこんなめんどっちぃことをと思うのだが、その頃は何でもとりあえずこいつに入力していたようだ(笑)
今もアドエスだのmioだのと騒いではいるが、これほどマメには記録も分類もしていないわけで、たぶん私のPDA好きはこの頃がピークだったのかもしれない。
081213zaurus6
これなんか自分でもスゴイと思うデータ。
今のように、携帯でちょこちょこっと調べられるようなデータベースなどどこにもなかったので、歴代天皇と年号を全て自分でアドレス帳に記入する事で、一発検索ができるようにしていたのだ。
古い棟札などの年代を調べるのにずいぶん活躍したし、歴史の本を読むときなども重宝したものだった。
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雑学的な事も、これはと思ったものは記録するようにしていた。
「デマルカシオン」なんて、この頃は完全に理解していたつもりだったのである(笑)
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言霊シリーズもたくさん残している。
ええこと書いてるねぇ(^-^)
で、誰に「情」を注ごうとしていたのかはちょっとナイショ(。。 )\バキッ☆

さて、今回、ブログを書くために、いろいろチェックしてみたのだが、モデムはともかく(^^;)検索機能や表示速度などはそこそこ早く、けっこう今でも実用に耐えると思えた。
つまり、これはこれで棲み分けというか、ニッチ的な商品として生き残ってもいいのでは?という気持ちも湧くのだが、パソコンとの連携等を考えると、やはり消え去る運命なのだろうねぇ・・・

しかし、このザウルスには私の30代がぎっしり詰まっているのである。
当然、見るのも恥ずかしい記録や言霊もあるのだが・・・(^^;)
これを機会にこれからもちょくちょく見直してみようと思う。
恐竜が絶滅した後も、化石となって現れるがごとく・・・(^-^)

ちゃんちゃん

2008年12月11日 (木)

時をかける通帳(笑)

ついに!って言うほどのものでもないが(^^;)
郵便局、じゃなくて、ゆうちょ銀行の通帳とキャッシュカードが・・・揃った(^^;)
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というのも、通帳もカードも長い事行方不明で・・・(。。 )\バキッ☆
通帳は見つけたもののキャッシュカードは結局見つからず(尾道事件の時はすでに無かった(^^;))このほど再発行したもらったのだ。
というのも、来年の1月から、やっと他銀行とのネットの提携ができるようになりそうなので、とりあえずネットバンキングの準備をしておこうというわけ。
ちなみに、現在でもジャパンネット銀行などでは、ゆうちょ銀行へネットで送金できるのだが、送金名が本人名義ではなく「ジャパンネットギンコ」などという、なりそこないのオカマみたいな名前に統一されてしまうので、不便で仕方なかったのである。
ちなみにこの通帳・・・
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15年前のものである(笑)
どんだけ使てないねーん!(^^;)
しかしそのおかげで、懐かしい記録がそのまま残っていた。
以前書いたパチンコ貯金のメモである。
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'05年3月29日から始まっている。どうやら、15年前にも通帳を無くしていたらしく(笑)このときは新規で作ったようだ。
そしてまず、2月と3月分の水揚げ?(^^;)を入金している。
「29-6」というのは、29勝6敗という意味だろう、8割2分8厘と勝率まで計算している(笑)
2ヶ月間で35回行ってるわけで、平日、仕事を終えてからと決めていたから、ほぼ三日に二回の割で通っていた事になる(。。 )\バキッ☆
なぜこれほどまでに熱心に通ったかというと、これも以前に書いたが、フィーバーパワフルという非常に相性の良い機種が全盛で、貴志川の現場へ行った帰り、一緒に行った職人さんに誘われて学生の頃以来、久しぶりに打ってみたところこれが大当たり(^^;)
1時間足らずで○万円を手にしてしまい、ちょうどその時乗っていた軽トラが老朽化していた事もあり、「よっしゃこいつで買うぞ~!」と・・・(笑)
で、以前の記事ではGW前まで、と書いていたが、6月2日に入金している事と、4・5月で「27-7」つまり34回行っている事から、どうやらGW後もしばらく通っていたようである。ただ、GWをはさんで勝率が8割を切り、平均水揚げもかなり落ち込んだのと、貯金がほぼ目標額に達し、おそらくはJCの活動が忙しくなる次期を迎えたので、すっぱりと止め、7月の23日には軽トラの代金を払ったようだ。
しかし、なんて計画的でしかも計画通りなんだ~w(゜o゜)w
私の人生で、これが最初で最後かも?(^^;)

てなことで、走り書きのようなメモだが、なかなか楽しませてもらった(^-^)

それと共に・・・しみじみと思い知らされた事がもう一つ、
ホンマ、この頃はまともに家に帰ってなかったんやなぁ・・・(。。 )\バキッ☆

てなことで、この場を借りて、カミさんと子供達に謝罪と感謝を捧げたいm(_ _)m

ちゃんちゃん

2008年9月 3日 (水)

思い出したくなかった

先日「ノーコマンド」で、『犬をどこまで「調教」するか?については色々悩むところなのである。』と書いた。
書いてから、「調教」という文字が妙に気になった。
なんでやろ?
亭長さん的な趣味は無いのに(^^;)
・・・
・・・
・・・と・・・
ある光景が記憶の底から蘇ってきたのである。
すっかり忘れていた、というより、自ら記憶を封じていたのかもしれない。

それは、昭和60年の夏、まだ結婚前の25才の時の事。
カミさんと神戸のポートピアランド('06年に閉園。跡地がイケアになった)へ遊びに行ったら、ちょうどボリショイサーカスの公演が数日後に始まるという時で、すでにでかいテントは立てられていたものの、テント周囲は公演の準備のためか、いろいろな機材が雑然と置かれているといった状況だった。
物珍しさにあちこちぶらついているうちに、映画などでよく見る、そのままトラックに載せて運ぶ形式の、とても大きな檻が置いてあり、ちょうどあたりに人影はなく、立ち入り禁止にもなっていなかったので近づいてみたのだった。
檻の片面は全面が縦格子になっていて、中がよく見えた。それは白熊の檻だった。
そして・・・そこに自ら記憶を封じたくなる光景があったのだ。
一見した所では、五、六頭の白熊が自由に動いているようだったが、次第にそれぞれ決まった動きしかしてない事に気付いたのだ。つまり、ある一頭は、台に登ってはポーズを取り、また降りては登って・・・を延々と繰り返していたし、別の一頭は、ジグザグに歩いては立ち上がり、両手を挙げてバンザイをする動作の繰り返し。他にも、首を左右にイヤイヤのように数回降った後、うんうんと、うなずくように振り方を変え、しばらくたったらまたイヤイヤをする・・・という具合。一番強烈だったのは、拍手の動作を延々と続けている一頭だった。野生の動物がする動作としてはとても不自然なものなのだが、その白熊は拍手の動作を止める事ができないようで、ただただ胸の前で大きな前足を開いたり閉じたりしていた・・・
ショックだった。
この白熊達を順番に登場させれば、様々な芸をしているように見えるという具合なのだ。
おそらく、小熊の時から同じ動作だけをするように洗脳、調教した結果なのだろう、人間側からすると、愉快でかわいいと思える動作だけに、かえってものすごく不気味だった。
テレビで見て「よぉ仕込んどるなぁ」と感心していた「芸」は、白熊を狂わせる事で成り立っていたという事実と、そもそもこのような洗脳、調教方法を人間側がおそらくは昔から編み出していて、現代でもそれを実行し、しかもちゃんと「見せ物」として公認・成立しているという事実に心底、恐怖を感じたのであった。

よく、トラウマが大きすぎると記憶を封印してしまう、といわれるが、まさにそれで、先日、自ら「調教」という文字を書くまではすっかり忘れてしまっていたのだ。
ただし、潜在意識下ではしっかり抑制は効いていたようで、だからこそ、サーカスはもとより、動物が芸をするという要素のある所には近寄らないようにしてきた事にも、改めて気付いた。
結婚して子供が生まれてからも、遊園地は行っても、動物園に連れて行った事が無い。唯一、行った所と言えば、白浜にある放し飼い形式のワールドサファリくらいだろうか。
ただし、子供が長じるに連れ、「親として人並みの事はしてやらねば」という別の強迫観念も生まれ(^^;)洗脳やムチによる脅し以外に、イヌ系の動物、つまり、エサに釣られて芸をする動物群がいる事を知った事もあって、オルカやイルカ、オットセイ等の海洋動物の芸は、やや抵抗感があるものの、子供を連れて見に行けるようにもなった。

ただしそんな時は、動物の芸より、表情というか、仕草、特に目に注目してしまう自分がいたように思う。
このあたり、白熊の思い出は封じられていたので、あれはあの白熊達とは違うのだ、と自分に言い聞かせていたわけではないが、やはりどこかで、錯覚でもいいから、エサをもらえる喜び?仕事?として自らの意志で芸をしているのだ、という風に思いたかったのだろう。
ところが、海洋動物の目というものは、黒目がちでどこを見ているのかよくわからず、顔の表情も普段見慣れていないせいか、感情が読み取れず、もどかしい思いをする事も多かったように思う。
ばしゃーんばしゃーんと水しぶきを上げるオルカやイルカを見ながら鬱々と楽しめない自分・・・(^^;)

私の意識下には常に、うつろな目をして延々と拍手を続ける白熊がいたのだろう。

・・・つづく・・・かも?(^^;)

2016年6月
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